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愛してると言いなさい
*小説家になろう様より移行しました。
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「今日一日、ベニオはなにもしないでね! 家事は全部僕がやるから」

 ある寒い冬の日。
 いつものように召喚されてリゼの家を訪れた紅緒は、出迎えたリゼに、開口一番こう告げられた。

「ベニオは好きなことをして寛いでいてくださいっ」

 ほとんど強引に長椅子に腰かけさせられる。

「たまには僕に任せてよ」

 やる気だ。なぜだかわからないけれど。
 紅緒は戸惑いながらも、コクリと頷いた。

「じゃあ……せっかくだから、お言葉に甘えようかな」
「あ、でも、外には出ないでね。なんだか雪が降りそうだし、そうじゃなくても、僕の眼の届くところにいてくれたら嬉しい」
「はいはい」

 紅緒はクスクス笑いながら、リゼがエプロンを身につけて、腕まくりする様子を眺めた。

「頑張って、リゼ」

 ひと声かけると、リゼはぱっと笑って、胸を叩いた。

「はいっ」

 どうして急にこんなことを言い出したのかな? と紅緒は不思議に思った。
 だが理由はともかく、せっかくリゼが働く気で張り切っているのに水を差すのも悪い気がしたので、深く追求するのはやめておいた。
 いつのまにそこにいたのか、小さな黒猫に指を舐められた。愛猫のチビクロだ。

「チビクロ」
「にー」

 ぱっちりした黒眼を輝かせて、しなやかな尻尾をはたはたと振るしぐさが愛らしい。

「……遊ぶ?」
「にー!」

 紅緒は猫じゃらしを持ち出して、リゼの邪魔にならないよう、厨房の食卓の席でチビクロをかまうことにした。
 リゼは片付けからはじめて、窓拭きを含む、本格的な掃除を開始した。
 それが済むと昼食を拵え、食器を洗い、洗濯、薪割り、蝋の補充、買い物と甲斐甲斐しく働いている。
 紅緒は思いがけず空いた時間を、有効活用することにした。

 久々に新しい器でも作ろう。

 そこで、きれいになった居間に大きな敷物を広げ、椅子と足踏み式轆轤(ろくろ)を運んだ。作業着に着替え、髪を結び、粘土とヘラ、手拭き布などを用意する。
 リゼは外の浴室掃除にかかっている。チビクロは少し離れた長椅子の上で丸くなり、時折こちらを窺っては、眼を瞑ったり、欠伸をしたり、ヒゲをひくつかせたりしていた。

「よい、しょっと」

 紅緒は鏡盤と呼ばれる回転台の中央に粘土の球を置いた。椅子に座り、粘土に手を添えて、足で速度を制御しながら鏡盤を回転させはじめる。しばらく粗い粘土を手で下と内側に押して、潰し、こねて、掌になじませる。柔らかくなるまで続ける。

「あれ、珍しい。なにか作るの?」

 リゼが戻って来た。白い吐息。外は寒かったのだろう。吹き込んだ風が暖炉の炎を揺らした。

「うん。サラダ用の少し深い器。いまのより大きめのものが欲しくて」
「僕も手伝う」
「いいよ、ゆっくりしていて。ずっと動いていたから疲れたでしょう?」
「手伝いたいんだ」

 と言って、リゼはいそいそと椅子を持ってきて、紅緒の背後に座り、後ろから手を伸ばして紅緒の手に重ねる。リゼの胸にすっぽりと抱きこまれるような恰好だ。

「じゃあ……そっとね、指に力を入れないで」

 回転する粘土に手を這わせて穴を開けていく。広げたところで、不意にぺしゃっと潰れた。

「失敗」
「失敗だ」

 小突き合う。
 次はもっと慎重に形を整えて、いい感じに穴を広げ、底を作ったところで、またも歪んだ。

「ンもう、リゼが変に動いたから」
「だって君の髪が首筋にかかってくすぐったくてさ。ごめん、もう一度」

 呼吸を整えて、手に手を重ね、粘土に触れる。形が徐々に丸みを帯びていく。穴を開けて、丁寧に広げ、底を作り、壁面を滑らかに、厚みを均等に仕上げる。

「よし、上出来」
「もう終わり?」

 紅緒は素生地のそれを乾燥棚に運んだ。
 物足りなさそうなリゼの声に、紅緒は笑い、新しい粘土玉を準備した。

「もう一枚作ろうか?」
「うん!」

 暖炉の火がパチパチと爆(は)ぜる。たまに風に叩かれた窓がカタカタ鳴った。轆轤がまわる音。穏やかな沈黙。チビクロが長椅子の上でうつらうつらしている。このこじんまりとした家の隅々まで、優しい静けさがみちている。
 リゼが紅緒のうしろで心から寛いだような呟きを漏らした。

「なんか……こういうの、いいね。幸せな感じ」
「おおげさ」
「おおげさじゃないよ。本当だよ」

 紅緒はリゼの手に覆われた自分の手を、そろそろと放した。ゆっくりと回転が止まるのを待ち、成形した全体像を眺める。

「んー……ここらへんが不格好だけど、ご愛嬌かな」
「完璧じゃない方がいいよ。少しくらい歪な方が器に味が出るし、愛着も湧くと思う」
「そうだね」

 リゼの言うとおりだ。
 紅緒はこれも慎重に乾燥棚に運び、先程のものと並べた。

「のんびり乾燥させて、暖かくなるまで待って、春になったら焼こうか?」
「火は僕が熾(おこ)すよ」
「うん」
「楽しみだね」
「楽しみだな」

 リゼと声がぴったり同調した。なんだかおかしくなって、二人で顔を見合わせて笑い転げる。

「じゃあ、ごはん前にベニオはお風呂に入ってきてください」

 いつのまにかお湯を沸かしていたらしい。
 紅緒は自分の粘土にまみれた姿を見て、さっぱりしたいな、と素直に思った。

「リゼは?」
「僕はあとで入るよ。ゆっくり温まってきて。その間にごはんもできるから」
「じゃあ……お言葉に甘えようっと」
「にー」

 いつのまにか、チビクロが眼を醒まして、足元に擦り寄っている。

「チビクロも私と一緒にお風呂に入る?」

 紅緒が屈むと、愛猫は嬉しそうにすぐさま腕から定位置の左肩へ駆け上がった。
 だが、ひょい、と伸びたリゼの手で、ただちに首根っこを掴まれてしまう。

「お・ま・え・も・あ・と・だ!」
「にーっ!」

 チビクロは抗議してジタバタしたが、リゼに放す気はないようだ。ぎゃあぎゃあと、いつものように騒々しく揉めはじめる。
 紅緒は仲良く喧嘩するリゼとチビクロを横目に、ひとり入浴にいった。
 ぽかぽかと温まり、さっぱりして戻ると、リゼがちょうど夕食の支度を終えたところだった。

「わあ、おいしそう」

 食卓の上には、野菜のリゾットと具だくさんのポトフ、サラダが並んでいた。
 既にチビクロは所定の位置にちょこんと座っている。
 リゼは紅緒のために椅子を引いてくれた。

「さ、どうぞ。温かいうちに召し上がれ」

 その言い回しはいつもの紅緒の真似たもので、思わず笑いが込み上げた。

「はい、いただきます」

 まずはリゾットから。スプーンを口に運ぶ。
 向かい側に着席したリゼは、ちょっと緊張した面持ちで紅緒の反応を見ている。

「ど、どう?」
「とってもおいしいです」
「よかった! たくさんあるからいっぱい食べてね。デザートも作ったんだ」

 ほっとしたように笑うリゼは満足そうだ。
 和やかな雰囲気で食事が進む。他愛のない会話。ふとした沈黙。外はいつのまにか雪景色。
 二人で長椅子に寛ぎ、暖炉の火を見るともなく見つめる。食後のお茶をゆったりとした気分で楽しみながら、紅緒はリゼに声をかけた。

「ね」
「ん、なに?」
「……今日は、どうしてこんなに色々、頑張ったの?」

 言おうか、言うまいか。
 少しの逡巡を示し、リゼは口角を結ぶと、無言で腕を伸ばしてきた。軽く肩を抱き寄せられる。
 ややあって、

「……この前、君が来たとき、なんだか元気がないように見えたから。訊いても答えてくれないし、なんでもないふりをしていたけれど、疲れているみたいで、気になって。……僕でなにかできないかなあって思ったんだ」
「……私を元気づけようとしてくれたの?」
「たいしたことできなくて、ごめん」
「そんなことない」

 紅緒は胸が詰まった。思いがけないリゼの心遣いが嬉しかった。
 優しいまなざし。
 労わりの心は気持ちを柔らかく宥(なだ)めてくれる。

「そんなことないよ……ありがとう、リゼ……」

 感謝の言葉を伝えて、空になったカップを小卓に置く。
 紅緒は身動ぎし、両腕をリゼの首に絡めた。
 リゼはポンポン、と背中をあやすように優しく叩いてくれる。

「……元気、出た?」
「元気出た」
「よかった」

 リゼが笑う。紅緒も笑った。チビクロは天井の梁から尻尾を垂らして、「にー」と鳴いている。

「お茶のおかわりは?」
「もらおうかな」
「了解。ちょっと待ってて」

 リゼは立ち上がりかけて、思い直し、口を寄せてきた。
 耳元に、照れたような、はしゃいだような、幸せに弾む声で囁かれる。

「……たまにはこんな一日も、いいね」
 紅緒はくすりと笑って、頷いた。


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【2016/08/10 05:57】 | 愛してると言いなさい
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 春になったら連れて行こうと思っていた。
 そのために早くから計画を立て、準備を進め、休みの申請をし、暖かくなるのをずっと待っていたというのに――。

「仕事?」

 呆気にとられてダナンは訊き返した。
 就寝前のひととき、鏡台の前で髪の手入れをしていた妻ジーチェが漏らした一言に愕然とした。

「しかし、君は明日から十日間の長期休暇の予定を許可されていたんじゃないのか」
「ええ。でもひとり急病で倒れて、もうひとり実家が火事に遭ったという知らせがあって急に一時帰省することになったんです」
「誰か他に都合のつく者がいるだろう」
「皆、忙しいので。私は特に予定もありませんでしたし、人手が足りなくて困っているのを見過ごすわけにも参りませんので、明日一日だけお休みして、明後日から代わりに出ることにしました。あの……いけませんでした?」

 がっかりした。

 驚かせようと黙っていたのが裏目に出た。
 ダナンが眼に見えて落胆し肩を落としたのを見て、様子が変だと気がついたのだろう。ジーチェは気懸りそうな表情でこちらを窺っている。

 こんなことなら、はじめからきちんと話しておけばよかった。

 と、後悔しても後の祭りである。
 ジーチェは悪くない。責めるのはお門違いだ。たとえすべての計画が音を立てて崩れようとも、また一からやり直せばいいだけの話だ。

 だが……。

 考えた末、やはりどうしても諦めきれない思いが先に立った。



 翌朝、朝食を済ませるなりダナンはジーチェをデートに誘った。

「あなたもお休みでしたの?」
「君に合わせてね」

 するとジーチェは申し訳なさそうに肩をすぼめた。

「言ってくださればよかったのに」

 まったくだ。

 とは言わず、ダナンはジーチェのために外出用のマントを取って肩にかけた。

「時間がもったいない。行こう」
「どこにです?」
「いいから私について来なさい」

 ダナンは厩舎に立ち寄って自分の愛馬を引き出し、ジーチェを前に乗せて、魔法研究所へ赴いた。所長のローザンを掴まえて手短に事情を説明し、理由をデートから視察に変更することで転移魔法陣の使用許可を得て、早速目的の地へ送ってもらう。

 情緒もへったくれもあったものではないが、この際細かいことには眼を瞑ろう。

 転移先は北エバアル魔法研究所施設内。
 はじめ不審そうにうろたえていたジーチェだが、施設の外に出て空気を嗅ぐなり気がついたようだ。

「ここは……でも、どうして」

 戸惑うジーチェを急かして相乗りし、ダナンはまっすぐに草原へと向かった。
 都市部を離れるにつれ景色はどんどん緑が多くなっていった。人家がまばらになり、のどかな田園地帯を越えて――やがて芽吹いたばかりの広大な草原に出た。

 青い草波が風にそよぐ。
 どこかの牧場の家畜の群れがのんびりと草を食み、牧羊犬はふわふわ舞う蝶にじゃれかかり、頭上では翼を大きく広げた鳶が旋回していた。

「しっかり掴まっていなさい――ヤッ!」

 ダナンは愛馬を疾走させた。風を切り、雲を追いかけるように。
 風景が飛ぶように過ぎていく。
 雄々しい馬蹄音だけが響く中、風の匂い、土の匂い、草の匂いが入り混じって鼻をつく。
 懐かしさで胸がいっぱいになる。

「ジーチェ!」
「はい」
「君とはじめて会ったのは、ここだった」
「はい」
「懐かしいな。ここはなにも変わらない。空と草と風と光と……」

 ダナンは手綱を引いてゆるやかに停止させた。
 馬を下り、ジーチェと手を繋いで草原に寝転ぶ。額に手を翳して太陽の光を遮りながら漂う雲を眺めていると、時間が逆行し、昔に戻ったような錯覚を覚えた。
 横を見る。
 驚いたことに、ジーチェと眼が合った。
 そのまましばらく見つめ合う。
 愛するひとと共にいられる幸福を心底嬉しく思った。ありていに言って、感動した。一生こんなふうに手を繋いでいけたら、山あり谷ありの人生だろうと、二人で努力して、ゆっくり乗り越えていくことができるだろう。

「……君が、好きだ。はじめて出会ったときから、ずっと……」

 ダナンはジーチェに微笑みかけた。
 春の暖かな陽射しに包まれるジーチェは最高に美しい。

「どうしても、君と巡り会えた春の青い草原を訪れたかった。本当はゆっくり時間をかけて来ようと思っていたのだがね……まあ、それは次の機会にしよう」

 時間を見る。そろそろ帰途につかなければ日が暮れてしまう。
 ダナンが起き上がろうとすると、ギュッと手に力がこもって引き止められた。

「……どうかしたかね?」
「……もう少しだけ」

 不意に、ジーチェが甘えた瞳でダナンを見つめた。ドキッとする。他人行儀に構えたところが微塵も感じられない、無防備なまなざしだ。
 この滅多に見られない表情と寛いだしぐさにダナンが魅せられてぼーっとしていると、ジーチェは小さく笑って告げた。

「私もずっとここに戻ってきたかったんです。――あなたと二人で」

 それから秘密を囁くように、そっと一言、付け足した。

「あなたのことが大好き、だから……一緒に」

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【2016/08/10 05:56】 | 愛してると言いなさい
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 夕食後、さきほど届いたばかりの注文した品を片手にカトレーがアルディのもとを訪ねる途中、偶然飛び込んできた会話に耳を澄ます。
 男性専用の娯楽室前を通ったときだった。七、八名がたむろして雑談している。

「なぁ、デューイ家の令嬢だけどさ、最近ぐっと大人っぽくなったと思わないか」
「思う。前はただお人形さんのようにかわいいだけだったけど、いまはこう、はっとするほどきれいだよな」
「同感です。眼元とか細い襟足とか、思わず視線で追うほど色っぽい。やはり男ができると見違えるほど変わりますね」
「あ、じゃ、あの噂って本物? カトレー・ヴァン・クローデルが執拗に言い寄ってものにしたって……」
「俺が小耳に挟んだ限りじゃあ二人は友人以上、恋人未満。つまり、俺達にもまだ手を出す隙はあるってわけだ。うひひ」
「あなた下品ですよ。私は結婚を前提とした婚約者だと聞きましたけど?」
「一旦付き合って別れたって話じゃないのか。いや、それともまだ続いているのかな」
「続いていますとも」

 カトレーは娯楽室の扉に手をかけたまま、にっこりと微笑した。
 いきなり現れたカトレーに度肝を抜かれたのか、一瞬でその場にいた全員が口を閉じて寒々しい愛想笑いを返してきた。

「カ、カ、カトレー殿。い、いつからそこに……」

 カトレーは居合わせた顔ぶれを瞬時に記憶照合し、下位の華貴族と上位の豪貴族であることを把握した。上位の大貴族である彼の機嫌を損ねていいことはなにもないと理解しているためか、これ以上の失言をさらすまいと誰も下手な逃げ口上を並べなかった。ただ気まずそうに眼を泳がせて、どう保身したものかと互いの様子を窺っている。

「歓談中、首を突っ込んで悪かったね。私の名前が聞こえたものだから、つい」
「は、はは……」
「なにか噂に誤解があるようからはっきりと言っておくけど、アルディ・ドォワ・デューイ嬢とは結婚を視野に入れてお付き合いをさせていただいている。どんな手出しも無用に願いたいものだ」
「も、も、も、もちろんですとも!」
「もしもアルディ殿になにかあれば――」

 あえて言葉を区切り、カトレーは声を低く落として冷たく凄んでみせた。

「この私が黙っていないと憶えておくがいい」

 完璧な笑顔で恫喝を締め括るとカトレーはさっさと踵を返した。
 暇な宮廷人共をまともに相手になどしていられない。あれだけ脅しておけば噂はあっという間に広まり、アルディに余計なちょっかいをかけようという輩もこれまで以上に減るだろう。

 だが、やや大人げなかったかもしれない。

 そう自省する一方で早く手を打たなければ面倒な事態になるという危機感もあった。
 カトレーはぐいと肩を怒らせた。自然と歩幅が広くなり、足も速まる。手中のものが俄かに重みを増した。
 急ぎ足で向かいながら、噂になるのも仕方ない、と嘆息を吐く。最近のアルディはとみに美しい。頻繁に会っているカトレーでさえドキッとする瞬間があるのだ。たまに見かける程度であれば噂になるのも道理である。

 特に、笑った顔は……。

 罪なくらいきれいで、まともに見てしまえばコロッと恋に堕ちるに違いにない。事実、その手の輩が既に片手の指では足りないくらいの数に上っていることをカトレーは把握していた。

 気が焦る。これは嫉妬だ。
 懸念はわかっている。横から他の男に奪われることがないとは決して言い切れない以上、早く既成事実をつくってしまいたいのだ。
 いっそダナンのように式はあとでも婚姻届だけ先に出してしまうのも有効な策かもしれない。それとも大々的に婚約披露パーティでも開いて……。

 思考がだんだんと危険な方向に及びはじめたとき、アルディの部屋に着いた。手の中の品を懐に隠す。身なりを確認し、ノックする。

「はい。どなたですの?」
「私だ、カトレーだよ」
「えっ。あ、あの、ちょっとお待ちくださいですの」

 慌てたようにバタバタする音が聞こえてくる。
 ややあって扉が開き、うすいピンク色の部屋着を纏い、髪を下ろしたアルディが姿を見せた。

「やあ」
「こ、こんばんはですの」
「話があってね。少しだけ時間をもらえないかな」
「ええと、あの」
「入ってもいい?」

 押しの強い声で言う。女性の部屋を訪ねるには遅い時間だが、相手は恋人だ。非常識というほどでもない。
 退くつもりがないことを察したのだろう、アルディは中に通してくれた。

「お話を聞く前にちょっとだけあっちを向いていてくださいですの」

 アルディは壁を指す。

「なぜ?」
「こっちを向いちゃだめですの! アルがいいって言うまで絶対に見ないでくださいですの!」

 見られて困るなにがあるというのだろう?

 年頃の女性だ、色々とあるに違いにない。
 カトレーは肩を竦めた。

「わかったよ。壁を眺めていればいいんだね?」

 せっかく二人きりだというのに、このつれない仕打ちにカトレーは苛立たしさともどかしさで愚痴をこぼしそうになった。
 だが年上としての矜持もあり、グッと不満を堪えておとなしく後ろを向く。
 しかし、待てども待てども、合図がない。
 しまいには腹が立ってきた。
 浮気を疑ったことはないが、絶えず恋文や花や贈り物が届くとは聞いていた。もしかしたら、その中に無視できないものでも混じっていたのかもしれない。

 たとえば、元婚約者からの手紙だったら――?
 そんなものを見られるわけにはいかないと、証拠隠滅に右往左往していたりするのかもしれない。

 途端に猛烈な嫉妬の炎が胸を焦がした。ばかげている想像だ、と思いつつも不安と焦燥がカトレーの思考を乱した。これ以上じっとしていられず、肩越しに振り向く。

「もういいかげん――え?」
「完成ですの!」

 眼に飛び込んできたのは、手編みの手袋。
 アルディがにこにこしながら両手で差し出している。

「……私に?」

 拍子抜けして、とぼけた声が出てしまう。

「はいですの!」

 アルディが小さな手を胸の前で合わせてはしゃいだ声で続ける。

「カトレー様には緑色が似合いますの。もうだいぶ寒くなりましたから使っていただけると嬉しいですの!」

 眩しいほどの笑顔が弾ける。
 感動で胸が震えた。こんなに嬉しい贈り物ははじめてで、眼頭が熱くなった。

「まいったな……」
「なんですの?」
「くだらない嫉妬でばかなことを考えて……自分が恥ずかしいよ。もう少しで君を傷つけるところだった。いや、なんでもない。本当に嬉しいよ、ありがとう。大切にする」

 カトレーは手袋を嵌めてみた。温かい。しっくりくる。手を開いて閉じてと二、三度繰り返し、感触を味わって、様子を見守るアルディに微笑みかけた。

「いいね。気に入った」
「よかったですの」

 ぱっと表情が明るくなる。アルディは嬉しそうに笑った。
 それからおもむろに小首を傾げて訊ねた。

「そういえば、カトレー様のお話ってなんですの?」

 カトレーは頷き、手袋を嵌めたままの手で懐から小さな箱を取り出し、アルディにそっと手渡した。

「君のこのすてきな贈り物には劣るけど……受け取ってくれないか」

 もっと気の利いた甘いセリフを言えばいいものを、だが口からこぼれたのは平凡極まりない言葉で、しかもあとが続かない。

「その……」

 うまく言えない。

 カトレーは噛みしめた唇に悔しさを滲ませた。アルディが相手だとどうしてこうも愚鈍な一面ばかりを見せる情けない男になり下がるのか。

「……開けてみてもよろしいですの?」
「あ、ああ、もちろん」

 アルディの細い指が箱の蓋を押し開く。
 中身は、赤い指輪。
 婚約者同士が嵌める対の指輪で、中央に赤い宝石、輪の裏に両名の名と家紋が刻まれている。
 なにか言ってくれ、と願うカトレーの心の悲鳴も空しく沈黙が返ってくる。
 間が重い。
 耐えきれなくなり、カトレーは口を切った。

「先に結婚は申し込んだものの、まだ正式に婚約していなかったろう。私としては、つまりその、今更と言えば今更だが、けじめとして君と結婚を前提としちゃ――っ」

 緊張のため、噛んだ。

 ……恰好悪い。

 内心、悪態をつく。ここぞというときに決められないとはどれだけ余裕がないのか、ほとほと自分に嫌気がさす。きっとアルディも呆れているに違いない。
 笑われるのも覚悟の上で恐々とアルディの表情を窺う。そろりと下に視線を向けて、カトレーは絶句した。
 アルディがしゃくり上げながら、大粒の涙を流して泣いている。

「ど……」

 声が詰まる。予想外の反応に硬直してしまう。唾を呑んで、カトレーは喉を整えた。

「どうしたのだね、いったい……」
「……ですの」
「え?」
「嬉しいですの。とってもとっても――嬉しいですの! カトレー様、大好きですの!」

 わあああああん、と感激の声を放ち、アルディはカトレーの胸に飛び込んできた。
 カトレーは面食らいながらもアルディを受け止め、泣きじゃくるアルディの背を撫でてあやした。

 号泣するほど嬉しいのか……。

 これほど喜ばれるとは思ってもみなかった。
 カトレーはアルディの涙を見て、変に気張っていた自分を愚かしく思った。
 なにも取り繕う必要などない。ただ自分の正直な気持ちをそのまま告げることが大事なのだ。
 この手袋のように。
 心から相手を想う気持ちがあれば、そう伝えるだけで十分なのだ。
 
 君が欲しいと。
 君と結婚したいと。
 一生共にいてほしいと願い出るのだ、いますぐに。

 カトレーはそっとアルディの手に触れ、片膝を床について視線を合わせた。

「遅くなってすまなかったね……もう一度、今度はきちんと伝えるから、私の言葉を聞いてくれないか……?」

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【2016/08/10 05:55】 | 愛してると言いなさい
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「海に行きたいな」
「いいよ。連れて行ってあげる。いつがいい? いまでもいいけど」
「本当? じゃあ次に来たときにお願いします。私、水着とか浮輪とかビニールボールとか持って来るから、リゼは日除け用にパラソルとか用意してくれるかな」
「パラソルね。わかった」

 でも『水着とか浮輪とかビニールボール』ってなんだろう? 
 とはリゼは訊かなかった。野暮な気がして。だいたい海になにしに行くのだろう? 
 だがそんな疑問は些細なことだ。肝心なのは、

「楽しみだね」
 
 紅緒が嬉しそうに、にこっと笑う。ただそれだけでリゼはほっこり気持ちが丸くなる。

「はいっ」
 
 でれっと鼻の下を伸ばして返事をしながらリゼは早速パラソルの調達をしようと両手に広げていた魔法研究書をぱたんと閉じた。



「わあ、見えてきた! すごい。なんてきれいなエメラルドグリーンの海なの!」
「っと、それ以上身を乗り出しちゃ危ないってば。落っこちるよ」
 
 双頭の竜テスとサジェに乗り一番近くの海までの短い遊覧飛行だ。
 紅緒は眼を輝かせて興奮し、上気した頬やはしゃいだ姿がとてもかわいい。
 リゼはそんな紅緒に見とれながら目指す浜辺の上空に着くと竜をゆるく旋回させ、辺りにひとの気配がないことを見計らい斜めに滑空させ着地した。

「ありがとう、テス、サジェ。お疲れさま」
 
 紅緒が二頭にキスすると満更でもないようで竜達は「フシューッ」と鼻息を吐き長い尾をひと振りした。

「じゃあ私着替えて来るから、リゼは先にパラソルを用意してもらえるかな」
「うん、わかった。あ、着替えるってどこで? 遠くに行っちゃだめだよ」
「行きません。テスとサジェの陰に隠してもらうから平気」
「にー」
「おまえは行くな」

 すかさず紅緒のあとに続こうとした契約の猫の首をむずと掴む。まったく油断も隙もない。この見た目には無害の小さな黒猫はちょっと眼を離すとすぐに紅緒にまとわりつく性質の悪い奴だ。
 海は遠浅、浜辺はやわらかい白砂で、周囲に人家はまばらだ。
 リゼは早速パラソルを設置した。その下に寝椅子を二脚と小卓を並べる。それとは別に天幕も張り、食材や調理器具、煉瓦で囲った簡易竈はこちらに準備した。紅緒曰く、『バーベキュー』なるものをやるらしい。

「お待たせ」
「あれ、早かったね。ねぇベニオ、この鉄網はどう使う――」
 
 リゼは振り返って紅緒を一目見るなり「ぶーっ」と鼻血を噴いてひっくり返った。

「きゃあっ。リゼ、どうしたの、大丈夫?」

 ぼたぼたと血を垂らす鼻を押さえてリゼは浜辺で悶絶した。紅緒がびっくりした様子で駆け寄ってくるが、リゼは必死に「待った」をかけた。

「ぎゃーっ。寄らないで触らないで近づかないでー」
 
 我ながら情けない悲鳴を上げる。
 だがこちとら理性がぷつっと焼き切れる寸前だ。

「なんて恰好してるの、ベニオっ」
「え? 普通のビキニにパーカーを羽織ってるだけですけど……変? 似合わないかな」
 
 リゼは砂浜に四つん這いになりほとんど絶叫して言った。もう涙目である。

「似合うとか似合わないとか以前の問題だろう! なんっなの、その過激な恰好は! 脚もお腹も胸も腕も全部丸見えじゃないかっ。僕に食べられたいのっ? あああ、もう! 眼が潰れる! 堪えられない! もうだめだ! なんっておいしそうなんだ。涎が……っ。はっ。いかんいかん、いかんだろう、いかんだろうっ。うっ。鼻血が……って、はっ! おいこら、そこのクソバカチビ猫、おまえは見るなっ。テス・サジェも眼ぇ瞑っとけ! ベニオのこんな破廉恥な姿を誰にも見せてたまるか――いますぐ眼を閉じない奴ァ、俺がぶっ殺す!」

 リゼは散々喚き立て、すっくと立つと身につけていたマントで紅緒をぐるぐる巻きにした。

「暑いです」
「いいから。僕の正気を保つためにもそれ外さないで」
「せっかくリゼの分の水着も用意してきたのに」

 リゼはぎょっとして飛び退いた。

「えええっ。僕にも裸になれっての?」
「裸じゃないでしょ! 水着! 水の中に入るためのものだからこれでいいんです」
「……は? 水の中に入る? まさか海に? なんで?」
「泳ぐために決まってます」
「泳ぐ?」
 
 意味がわからない。
 訝しむリゼを紅緒は置き去りにした。鮮やかにマントを脱ぎ払い、太陽の光に白い裸身をさらして海へ駆けていく。波打ち際でちょっと足踏みし、水を掌に掬い空中に散らしながら波間にその身を躍らせる。
 リゼは息を呑んで見とれた。
 浮き沈みを繰り返し、楽しげにくるくるまわったり、遊泳したりする紅緒はきれいだった。

「リゼも来ればいいのに。気持ちいいよ!」
 
 その笑顔のなんて眩しさ――。

 リゼは額に手を翳し紅緒の伸びやかな肢体を眼に焼きつけた。身体の芯が疼く。熱が膨らみ、このままでは時間の問題でまずい事態になりそうだ。なのに視線がどうしても外せない。

「……まいったな。くそっ、なんであんなに無防備なんだ。少しは警戒心ってものがないのか? 大胆すぎるだろうが! 俺の理性の限界をどこまで試せば気が済むんだか……っ」
「リーゼー!」
 
 青い波間で手を振る紅緒は燦然と美しく、その甘い声は逆らい難く。
 リゼは白旗を掲げた。ふらっと一歩を踏み出すと、もう止まらない。ベルトを外す。ラミザイを脱ぎ捨てる。ブーツを放り出す。ざぶざぶと水を漕ぎ分けて紅緒のもとに向かう。すると紅緒は悪戯っぽい微笑を浮かべてすいっと逃げる。近づく。逃げられる。

「捕まえられるかな?」

 と挑戦的に片眼をぱちりと瞑られれば、退くわけにはいかない。

「よーし」
 
 リゼは開いた掌にぱしりと拳を打ち込んだ。
 そして千のきらめきが弾ける中、追いかけっこがはじまった。






















      おまけ



「そういえば、なんで急に海に来たいなんて言い出したの?」
「今日は海の日だからです」
「じゃあ、この溢れんばかりの食材は?」
「皆が来るかなと思って」
「皆?」
 
 ジュウジュウと煉瓦竈の上に置いた鉄網の上で串に挿した肉が焼ける音がする。辺りには香ばしい匂いが立ち込めて空き腹にはたまらない。

「もういいみたい。はい、どうぞ召し上がれ」

 肉汁を砂浜に滴らせ、こんがりと表面が焦げた肉にリゼはかぶりついた。

「いただきますっ。ん! 旨っ」
「にー……」

 猫舌のチビクロは冷めるまでお預けをくらっている。じれったそうにパタパタと尾を振る仕草を横目にリゼは肉の串と野菜の串を交互に頬張った。
 紅緒は水着にパーカーを羽織り、その上からリゼのマントを身体に巻きつけ素足にサンダルをひっかけていた。
 ひと泳ぎしたあと紅緒は手早く昼食の支度に取りかかり、いまは皿に盛った肉やら野菜やらをテスとサジェに届けにいって戻って来た。

「ねぇベニオ、皆って――あ?」
 
 突然、すぐ近くに魔法の気配を感じてリゼは結界を張ろうとしたが思いとどまった。馴染みのある気だ。次の瞬間、どやどやといつもの面子が魔法転移してきた。ジークウィーンを先頭に、カトレー、アルディ、ジーチェ、ラヴェルが揃い踏みだ。

「ベニオ!」
「こんにちは、ベニオ殿」
「お姉さまあー!」
「差し入れをお持ちしました」
「師よ、お捜しましたよー。いったいどうして気配を断っていたんです?」
 
 悪気なしにとことこと傍へやって来たラヴェルをぎろりと睨んでリゼは言った。

「……どこぞのバカ弟子が邪魔をしてベニオとの甘いひとときを台無しにするのを防ぐために決まっているだろうが」
 
 するとラヴェルは心外だ、とばかりに両手を浅く持ち上げた。

「あれ? お邪魔でした? 変ですねぇ。ベニオ殿からは時間の都合がついたらぜひ来てほしいと招待に与(あずか)ったんですけど。しかし師がどうしても帰れとおっしゃるならば引き上げますが?」
 
 帰れと言いたい。言いたいが、しかし。
 紅緒は楽しそうだ。
 
 リゼは嘆息して『二人きり』で『ロマンチック』な『甘い時間』を諦めた。
 紅緒は給仕を務めながらわきあいあいとしている。

「食事が済んだら皆でスイカ割りしませんか?」
「お姉さま、『スイカ割り』ってなんですの?」
「ええと――」

 こうなったらとことん遊び倒してやる……!
 
 リゼが半ばヤケクソ気味に今日の予定変更を覚悟したときだった。

「わ」

 と紅緒が砂に足を取られて躓いた。
 如才なくすぐ傍にいたジークウィーンが抱き止める。

「大事ないか?」
「ありがとうございます。あ」
「ん?」
 
 紅緒が身体を起こした拍子だった。はらり、とマントがほどけて肌から滑り落ちた。
 胸の形や腰のくびれも悩ましい水着とかわいい小さなお尻を半分だけ隠す短い丈のパーカー姿の紅緒があらわになって。

「……」
「おや」
「ぶほっ」

 たちまちジークウィーンが石化する。
 カトレーは尻上がりな口笛を吹いた。
 ラヴェルは咄嗟に掌で眼を覆ったが既にばっちり目撃したあとだ。

「見るなあああああっ」
 
 リゼの絶叫が青い空と海と白い浜辺に轟き渡る。
 
 俄かに浜辺は騒々しくなった。

 
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【2016/08/10 05:53】 | 愛してると言いなさい
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紅葉
久しぶりに読み返しましたが、この回のお話が楽しくて好きです。
水着に馴染みのない世界の人には刺激が強いですよね~。ワンピースもパレオもあるのにビキニをチョイスする紅緒ちゃんは罪作りですね。
ぶーっと鼻血を噴いて動揺、悶絶するリゼ可愛いです。


Re: 紅葉様
安芸とわこ
 こんばんは、紅葉様。ご来訪ありがとうございます。
 お忙しいでしょうに、わざわざいらしてくださって嬉しいです~。
 今回、小説家になろう様のダイジェスト化の取り扱いについての規約に則って移動をしたのですが、作業中は懐かしい気持ちでいっぱいになりました。
 そういえば、ジークウィーンの救済がまだだったなあ、なんて思い返してみたり。笑。
 あちらは今月中に引き下げますが、せっかくいただいた感想などを残すため、内容を差し替える予定です。
 その際はこっそり告知しますので、お暇なときにでも覗いてやってください。
 いつも温かいお心遣い、とっても感謝しております!
 ではでは、引き続きよろしくお願い致します。
 安芸でした。

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愛してると言いなさい
*小説家になろう様より移行しました。
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 外野の喧騒をものともせず、マントルピース前の席では熾烈な争いが続いていた。

「さーあ勝負だよ、リゼ。今日という今日は決着をつけようじゃないか」
「望むところです」
 
 かくてアビオンとリゼは“どちらが大酒豪であるか対決”に火花を散らし、ごく短時間にものすごい量を飲酒して、どちらも骨の髄まで酔っ払っていた。
 それでもまだぐいぐいと飲み続け、ふらふらになってもまだ飲み続け、贈り物交換時に一旦席を離れたもののまた戻って飲み続け、とにかく延々と飲み続けた。

「リゼ! 飲みすぎですっ」と、紅緒。
「おばあさまも飲みすぎです」と、ジークウィーン。

 紅緒とジークウィーンが止めにいったときにはリゼもアビオンもかなり出来上がっていて、深刻な泥酔状態だった。にもかかわらず、まだ飲むと言って聞かない。
 それどころか、至極陽気に絡まれて、強引に席に着かされる。

「あんたたちは飲まなすぎだね。この愉快な夜に素面だなんて身体に毒じゃないか、さあ飲もう飲もう」と、アビオン。
「そうそう、飲もう飲もう」と、リゼ。

 不本意にも紅緒とジークウィーンは新しいグラスを押しつけられ、なみなみと注がれた。
 そして煽られるまま、なし崩し的に新酒の相伴に付き合ううちに――立場逆転。
 ミイラ取りが、ミイラになって。

「ベニオ! 飲みすぎだよっ」と、リゼ。
「ジーク、そのぐらいでよしときな」と、アビオン。

 ところが熱に浮かされた調子で眼の据わった二人は席を立つ気配がない。

「まだ飲めますっ!」と、紅緒。
「ああ、まだまだいける」と、ジークウィーン。

 意見の一致を見た紅緒とジークウィーンはケタケタと笑いながら、互いに酌をしあって飲み放題。
 すっかり酔いの醒めたリゼは、なんとか紅緒を立たせようとしたが、頑として譲らない。

「よ、酔っているだろう」
「酔っていません」
「酔っているね……」
「この程度の酒で酔うほどやわじゃない」

 リゼとアビオンは二人が空にした酒瓶のラベルを眺めて嘆息した。

「……相当強い酒なんだけどねぇ。これ以上飲むと、明日は二日酔いではすまないよ」
「腰が抜けて歩けなくなるな……仕方ない、今日はこれでお開きにしよう。ベニオ、ベニオ、もう夜もだいぶ遅いから、パーティは終わりだ。いいよね?」
 
 返事はない。
 さきほどから、つじつまの合わない会話を延々と交わしている。

「だから、私は優しいひとが好きなんです。恋人にだけじゃなくて、家族とか、友達とか、皆大切にできるひとじゃなきゃ嫌なんです。わかります?」
「ああ、わかる。やはり女は器量ではない。度量が肝心なのだ。あとは健康状態だな」
「そうでしょう? でもやっぱり浮気は許せないので、誠実さも大事だと思います」
「無論だ。なにせ私の跡継ぎを産んでもらわねばならん、それもたくさん必要だ。健康で頑丈で図太くて元気のいいのが一番だ」
「できれば私のごはんをおいしいって言って食べてくれる旦那様が理想です」
「そうだな。まあ一応、身体の相性もいいに越したことはない。ああそうだ、忘れるところだった。そなたに贈り物があったのだ」
「もうお腹いっぱいです。でも一口ならいけるかもしれません」
「喰うな。受け取れ」
「ごちそうさまでした」
「拝むな。手を貸せ。嵌めてやろう」
「手錠ですか?」
「そうだ。外すなよ? 外すとおかしなサンタが来るからな」
「サンタは子供の味方です」
 
 もう無茶苦茶である。
 だがこの時点でまともに立っていられたのはリゼとアビオンの酒豪と豪語して憚らない二人のみで、他は紅緒とジークウィーンと似たり寄ったりの酩酊状態だった。
 リゼとアビオンが解散を告げて皆を退出させ、二人のもとに戻って来たとき、非常に危うい場面だった。

「きれいな手錠のお礼をしないといけません。なにがいいですか?」
「口がいい」
「口はダメです。口をあげてしまうとごはんが食べられなくなって困ります」
「そうだな。困るな。私も口はふたつもいらない。だからキスでいい。そなたから私にしてくれ」
「いいですよ? じゃあちょっと乗っかります。私は結構重いです。あと唇をひらいてほしいです」

 紅緒はふらっと椅子から立ち上がり、ジークウィーンの膝に座った。額にかかる前髪をちょいと除けて、頬骨を指でなぞり、眼を瞑る。キスというより、噛むというふうに唇を半開きにして覆いかぶさった。
 唇が触れる――その寸前。
 間一髪でリゼは二人の頭をひきはがした。ジークウィーンに身体を預けた状態の紅緒を引き離し、やや乱暴な手つきで抱き上げる。

「……な・に・を・し・て・い・る・ん・で・す・か」

 睨んでも、効果はなく。
 紅緒は焦点の合わないとろんとした眼であどけなく笑む。

「きれいな手錠をもらったので、お礼に王子にキスをするところです」

 リゼはちらっと紅緒の両手首を眺めた。
 青い宝石がきらめく、銀細工の二連の腕輪。

「外しなさい、そんなもの」
「だめです。サンタが来ます。サンタは子供の味方です。私は大人だから対象外です」
「……」

 もはやなにを言っているのかすらわからない。
 リゼは長い溜め息を吐いた。アビオンに顎をしゃくる。

「そっちの、あなたの孫を頼みます。明日使いものにしたいなら、一度吐かせてからベッドに放り込みなさい」
「ああ、そうさせるよ。今日は愉しかったと、ベニオ嬢にも礼を言っておいておくれ」
「あとで伝えます。いまはこの状態ですから、なにを言ってもむだです」
 
 アビオンはジークウィーンを遮二無二立たせて出ていった。
 リゼは紅緒をベッドに運んだ。
 履物を脱がし、サラエンを着たまま寝かしつけ、掛けものを首まで引っ張り上げる。枕の位置が気に喰わないらしく、「ううう」と歯ぎしりしていたので、ちょっと変えてやると、すぐに寝息をたてた。

「まったく……そんなに飲めないくせに無茶をして……」

 リゼは紅緒の枕元に腰かけた。チビクロがてくてくやってきて、ひらりとベッドに飛び移り、隅の方に丸くなる。ちらりと片目を開けてリゼの表情を探ったものの、「あふ」と欠伸をひとつして、尻尾を身体に巻きつけた。
 リゼはしばらく紅緒の寝顔を見つめていた。
 髪を撫でる。
 完全に意識が落ちたと思っていた。ところが、

「リゼ」
「は、はい!」

 なにも後ろめたいことをしていないにもかかわらず、リゼは飛び上がった。

「雪、降らせてくれてありがとう」
 
 紅緒は眼を瞑ったまま、むにゃむにゃと言葉を紡ぐ。

「メリー・クリスマス……あのね、リゼの枕のところに……私から、の、プレ……」
 
 途中で寝入ってしまう。

「枕?」

 探ると、銀のリボンのかかった白い包みがあった。
 中は藍色の糸で編まれた手編みの手袋で、嵌めるとぴったりだった。
 リゼは口元を綻ばせながら、スィーラの懐から光珊瑚と紅水晶の首飾りを出した。いつ贈ろうかと機会を狙っていたものの、突っ返されることも考えるとなかなか渡せずにいたのだ。
 優しい眠りを妨げないよう、そろそろと指を動かして、金の細い鎖をそっと紅緒の首にまわしてつけた。
 胸に花が咲いたよう。
 思った通り、よく似合う。

「……メリー・クリスマス、ベニオ」
 
 リゼは微笑しながら身を屈めて、ちゅ、と紅緒の瞼にキスを落とした。
 

 雪が世界を白く白く覆っていく。
 静かな夜 聖なる夜――この星のすべてのひとにさいわいあれ

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【2016/08/10 05:52】 | 愛してると言いなさい
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