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留められた時間 ―‐ もにょん様より頂きました―‐

 もにょん様より頂戴しました。

 リゼの過去のお話です。
 とても優しい、素敵な物語ですので皆様どうぞおつきあいくださればさいわいです。

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もにょん様より頂戴いたしました!

第2巻出版お祝い短編『留められた時間』

2012年 01月 03日 (火) 07時 27分 52秒



 きぃ、と小さな音を立てて木材で作られた扉が開く。

「あら、まぁ……お久しぶりね」

 人里離れた林の中にぽつりと一軒だけ建つ、クリーム色の壁に上品な緑色の木戸をした小さな民家の主たる老婆は、その音に少しばかり意表を突かれたように目を瞬かせたけれども、すぐに柔らかな微笑で久しぶりの訪問者を迎えた。

「ん、久しぶりだね」

 ぶっきらぼうに老婆にそう返しながら客人たる青年は、他人の家とも思えないような足取りで家の中に上がりこみ、庭に続く大きな窓の傍に置かれたソファに腰を落ち着けた。
 老婆はそれを見送って自分は一度台所に引っ込むと、温かいお湯をたっぷり注いだお茶のポットと茶器のセットをお盆に載せて、青年の元へと戻ってくる。
 小さく陶器が触れ合う音とふわりとやさしいお茶の香りが柔らかな水音を伴って仄かに周囲に広がった。
 老婆は何も言わずに青年の前のテーブルの上にお茶を差し出す。
 それに一口だけ口をつけてぼんやりと庭を眺める長い金色の髪をした青年のことを、家と同じく落ち着いた上品な老婆は用件を急かすでもなく、かといってただ放置するでもなく、自分の分のお茶をカップに注ぐと彼の向かいの大きな藤の揺り椅子に腰を下ろした。
 ゆらゆらと軽くそれを揺らしながら、青年が来るまでしていたやりかけの刺繍を手に取り、色糸を通した針を動かす。
 開け放った窓からさやさやと心地よい微風が吹いてきて、揺れるレースのカーテンが磨き上げられた飴色の床に繊細な波模様を描き出していた。
 そうして互いに何もしゃべらずどのくらいの時間が経っただろうか。
 青年がふと、小さくため息をこぼした。

「――好きな女性が出来た」

 唐突に静寂を破ったその声は決して大きくはなく、変わらず庭へと視線を向けたままのそれはむしろ独白に近く感じられるものであった。
 けれど老婆は刺繍をしていた手を止めて、僅かな驚きを宿した瞳を青年に向ける。
 老婆は迷うように少し視線を左右に動かしてから、

「……そう」

 とだけ呟いた。


 老婆は自分がまだほんの小さな少女だった頃より前から、目の前の青年は変わらずに王宮にいたことを思う。
 彼女が魔法使いとして王宮に上がった時も、能力を認められ今は王太后になった女性の傍に控えるようになった時も、そうして訪れた『知る必要のないこと(ダウ・ダルク・ダージ)。知るべきでないこと(ダウ・サンダルク・ダージ)ないこと』によって自分が限界まで力を使い果たし、王宮を辞したその時も彼は変わらず、たとえ姿が見えなくともそこを守っていた。
 当時の彼女と彼はそれほど強い関わりを持っていたわけではない。会えば挨拶を交わし、仕事で必要があれば情報を交換する程度の付き合い。
 その当時の彼女は嫉妬するのも馬鹿らしい程の力の違いに張り合おうとすることもなく、先駆者に対する敬意と一定の距離を持って彼に接していた。けれど彼を取り巻く周囲は老いも衰えもしない彼にあるいは嫉妬や羨望を、そしてあるいは畏怖を持っている者も少なくはなかった。

――彼は高みから力なく老いていく自分達を見下ろし、侮蔑しているのだ。

 そんな悪意あるささやきも密やかに、けれど確かに存在していた。
 けれど王太后の傍近くにあった彼女は、彼が自分でも気づかずに愛しいと思う者達へと向ける愛情を知っていた。それは不器用にとても分かりづらいものだったけれど、彼は彼と違い老いていく者を見下してなどいないと確かに教えてくれた。
 だからこそ、彼女はふと考えたのだ。

――置いていく方と、置いていかれる方は、どちらが辛いのだろうか、と。

 そして彼に寂しくはないのかと尋ねた。
 ……彼は表情も動かさずに彼女を見て、寂しいってなんだいと尋ね返してきた。
 その時の胸を突かれるような何ともいえない気持ちを老婆はよく覚えている。
 外見などではなく、彼の心の時間(とき)こそが止まっているのだとまざまざと思い知らされた。
 きっと自分でも大切なものをどれだけ大切なのか気付かないように。

 ――失っても耐えられるように。

 彼女には彼にそのことをわからせるだけの言葉と気持ちの持ち合わせがなかった。
 だから代わりのように、「いつか一緒にお茶を飲みましょう」と言ったのだ。
 ほんの微かでも、彼の中に優しいものを残せればいいと思って。


 けれどその機会もなく、いつか自分がそんなことを言ったことも忘れたまま彼女は王宮を去ることになった。
 そのまま二度と会うこともないと思っていたのだが、静かに暮らすためだけに購入したこの家にある日ふらりと彼が訪れたのだ。
 お茶を飲みにきた、と。
 以来、数年に1度あるかないかくらいの頻度で、彼はこの家に訪れるようになった。
 老婆と彼は何を話すわけでも顔を向き合わせるでもなく、傍らにあってたまに彼がぽつりぽつりとこぼす言葉に彼女はただ静かに相槌を打ち、お茶を一杯だけ飲み干す頃に彼は去っていく。
 それが彼にとってどれほどの意味があるのか老婆にはわからない。ただ迎え入れてお茶をいれ、一時だけ空気のように寄り添うだけ。
 だがそれももう今日で終わるのだろうと数秒の間で頭の中を駆け巡った走馬灯のようなこれまでに、今度は彼女がそっとついた吐息が両者の沈黙を打ち破った。それはほんの少しの寂しさを含んだ安堵の溜息。
 失えないものを得ることは反面、喪失の恐怖を知ることだ。彼が凍らせ、留めていた心の時間が動き出していることを彼女は悟った。

「……恐いのかしら」
「――そうかもしれない」

 空気であることを止めた彼女の言葉に、初めて彼が彼女の顔と向き合う。どういう表情をしたらいいのかわからないという顔が、彼女にはなんだかとても幼い子供のように見えた。
 膝に乗せていた刺繍をテーブルに置いて椅子から立ち上がる。そして彼の傍に膝を付くと、すっかり皺だらけになった温かい両手で彼の手を包み込むように握った。

「――信じて」

 ゆっくりと言葉に力をこめるように声にする。

「自分を、貴方の大事な人を、そして世界をどうか信じて」

 孫を慈しむような目で彼を見上げながら、彼女は何もうまく言葉に出来なかった過去の自分をもう一度思い返す。
 本当はもう随分と前に言うべきだろう言葉は見つけていた。けれど自分が言っていいのかと思っていた。
 でも今なら許されるような気がした。彼に届くような。

「苦しいことだわ。それでも、たとえ形をなくしても、残るものはあると……信じて」

 じっと数秒間、互いに見つめあった。そして戸惑いながら青年が緩く彼女の手を握り返して、ちいさく「うん」と頷いた。


 彼のいなくなった部屋を見回して、老婆はやはり少しだけ寂しそうに瞳を揺らした。
 けれどそれはすぐに穏やかな微笑みに掻き消え、お茶の片づけを終えると彼女は再び刺繍を手に揺り椅子に腰掛ける。
 変わらない様でいて緩やかに過ぎ行く時間を表すように、ゆらりと揺り椅子が揺れた。

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では、物語が少しでも皆様の心に届きますように……。

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