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異世界からの召喚状・五

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      三


 窓拭き・掃除・整頓・トイレとお風呂掃除、食糧庫と氷蔵庫の整理、洗濯・郵便物の種分け。  
 ここまで終えると、お昼をまわった。昼食には、こちら流でパンケーキを焼いた。ハチミツと山羊のバターをたっぷり塗って、チビクロに与える。それから、見た目はメロンで味はモモな果物アハルの皮を剥き、小さく切り分けて、これも添える。

「お茶もいる?」
「にー」
「はいはい」

 チビクロはひとと同じものをなんでもよく食べる。猫が雑食であることは知っていたものの、それにしても、本当に好き嫌いがない。ミルクよりお茶を好むし、辛いものもいける。熱いものはやはりだめだが、冷めるまで待って、きれいに平らげる。足りなければ催促し、おかわりまで要求してくるのだから、食事相手としてもまったく不足がない。

「おいしい?」
「にー!」
「よしよし」

 紅緒は食卓につき、銀製のフォークでパンケーキを口に運んだ。ちら、と奥のベッドを眺めるが、リゼが起きて来る気配はない。いつもであれば食べ物の気配には飛びついてくるのに。
 大魔法使いを名乗るリゼの助手になってから、四年が経過した。出会った当初はもっと違った間柄だったのだけれど、色々あっていまの形に落ち着いた。付かず離れず、浅くも深くもない、好き勝手言い合える、居心地のいい関係。
 でもここ最近のリゼはちょっとおかしい。情緒不安定気味というか、とにかく頻繁に喚びたがり、会いたがり、どこにでもくっついて歩いて、しまいには帰したがらない。
 そして紅緒の眼の届かないのをいいことに、自愛には無頓着という悪習に拍車がかかっている。

「いつか本当に倒れるかもなぁ」

 こくこくと、冷やしたお茶を飲む。
 この懸念が杞憂ですめばそれに越したことはないものの、このままいけば、近い将来には現実のものになりそうで心配だった。そのとき近くにいれば助けてあげられても、遠く離れた世界にいては、それもままならない。そもそもリゼの力なくては、こちらに来ることすらできない。
 紅緒は食卓上で皿についたハチミツを舐め取っているチビクロに話しかけた。

「誰かずっと傍にいてくれるひとを探せばいいのにね? かわいいお嫁さんでももらえば、私にがみがみ言われなくてもいいと思うんだけどな」
「……にー」
「でもそうしたら、私がここに来る理由がなくなるかあ」

 途端に、焦った様子でにょーんと皿を飛び越え、チビクロが胸にしがみついてきた。

「にー! にー! にー!」
「どうしたの? だ、大丈夫よ、すぐにはそんなことにならないと思うから……」

 チビクロの小さな頭を撫でながら、紅緒は棚上げされているさっきの件を思い出した。

「……女嫌い、か。私なんかでどうにかできるとも思えないけどな」

 正直、この話をもちかけられたこと自体が問題だ。リゼの研究の手伝いや家事だけでも、精神的・体力的にもめいいっぱいなのに、それ以上となると、こちらに滞在する時間がいまより格段に長くなるだろう。あまり長居すると本当に帰れなくなりそうで怖いのだ。

「……でもリゼのお友達の頼みだったら、このまま黙って見過ごすなんてできないし……」

 そんな具合に、思考はループする。結局、パンケーキを食べ終えて食器を洗い終えたときには、

「会うだけ会ってみて、無理そうだったら断ろう」という前向きだか後ろ向きだかよくわからない結論に至った。
だが考えがまとまったことで、午後の仕事はよくはかどった。

 調合薬含む備品の在庫リストをまとめ、一週間分の研究記録に眼を通す。家の裏手の菜園にいって雑草を摘み、水やりをして、楕円の形で色がピンクのナスをたくさんもいで、かごに盛った。他にも、キャベツ・タマネギ・トマト・ウリ、に似て非なるもどき野菜を収穫する。
 チビクロを連れて散歩を兼ねた買い物に行き、帰って夕食の支度にとりかかる。全部が出来た頃になって、ようやくリゼがのっそりと起きてきた。髪も服も寝乱れたまま、足をひきずるように厨房に現れて、ぼーっとしている。

「よく眠れた?」

 紅緒はちょうどシチューの味見をしていて、お玉と小皿を持っているため、両手が塞がっていた。

「……よかった」
「なにが?」

 リゼの腕が問答無用で伸びてきた。と、逃げる間もなく、不意に後ろから抱きしめられる。
 腰にまわされた手と、肩の付け根を押さえつける手の力は痛いほど強く、ただでさえ相手との体格差があるので、すっぽりと懐におさまってしまう。
 髪をまとめあげていたので、首筋は無防備で、そこにリゼの顔が押しあてられ、息が耳にかかる。寝汗をかいたのか、少し汗臭く、肌がしっとり湿っていた。紅緒にその気がなくとも、こんなふうにされればやはり動悸は激しくなるもので、鼓動が早鐘を打っている。

「な、なに? どうしたの? 怖い夢でも見た?」
「うん」
「どんな夢?」
「君が、僕を置いていく夢」
 
 この会話ははじめてではない。
 前にも何度か同じことがあって、そのたびに紅緒は同じセリフを繰り返してきた。

「ちゃんとここにいるじゃない」

 リゼがけだるげに息を吐く。耳に吹きかけられたようで、少しくすぐったい。

「そうだね。でも……今日の夢はいつもと違って、君が自分の代わりにって、見ず知らずの女を嫁に寄こしてとっとと踵を返して帰っていったんだ。ひどいよね」
「えっ……と」

 咄嗟に言葉が出てこない。若干後ろめたい気持ちがするのは、まさにその通りのことを独りごとにせよ口に出してしまったからで。
 リゼは忌々しそうに舌打ちし、腹立ちをおさめられないようだ。

「薄情すぎるだろ? 僕は君がいいんだって何度言っても信じてくれないし」
「……そ、そうね。薄情、かな? わかった、今度からそういうこと考えるのやめる……」

 空気が固まる気配。
 心なしか部屋の気温が下がった。
 リゼの凭れていた頭がゆっくりと離れる。問答無用で身体を反転させられ、向き合わされる。リゼはおもむろに跪いて、両手を拘束されたまま顔を覗き込まれた。
 紺青の眼が鋭い光を放っている。

「そんなこと考えていたの?」
「ちょっとだけ」
「へぇ……」

 ぞくっとするほど、冷たい微笑。やや首を傾けたしぐさが、妙に艶っぽい。

「僕、何度も言っているよね? 君の代わりはいないし、いらないんだって。とにかく嫁だろうとなんだろうと、君以外の女は必要ない。もっと言うなら、君をどんな形でも失うくらいなら、それを阻止するために僕はなんだってやっちゃうからね」

 にこ、と口辺をあげて笑うリゼの眼は、だが怖い。
 しかしそれも一瞬でリゼは膝を払って立ち上がると、急に話題を変えた。

「だから、君が嫌ならさっきの話も反故でいいよ。断るから。悩ませちゃってごめん」
「あ、それは――」

 リゼがいつものように飄々とした態度をとってくれたことに胸を撫で下ろしつつも、心臓がうるさくて息が継げず、すぐには言葉が続かない。
 リゼはなにも言わず待ってくれている。紅緒は落ち着いて呼気を整えてから、口を切った。

「その話なんだけど、会うだけ会ってみようかな」
「本当に?」
「ん。だって、リゼのお友達の息子さんなんでしょ? なんとかしてあげたいかな、って。でも、会ってみてやっぱりだめだと思ったら、断ってもいい?」

 リゼがすごい勢いで首肯する。
 紅緒は自分がお玉と小皿を持ったままで、鍋が火にかけっぱなしだったことにはたと気がついた。

「シチューが焦げちゃう! リゼ、お腹すいたでしょ。手と顔を洗ってきて。今日の献立は野菜シチューと甘酢のワニ肉団子です。冷めないうちに食べよ。チビクロも! おいで、ごはんだよー」
「ベニオ」
「え?」

 隙があったのかもしれない。
 リゼが、ちゅ、と頬にキスしてきた。

「ありがとう」




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