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八月三日・初デート

小説家になろう様で、『黒の公子と悪の魔法陣』連載中です。
お時間のある方、お付き合いいただければ嬉しいです。
<< 前の話 

 楽しみすぎて死ぬかと思った。
 南は朝からすこぶるご機嫌で、家族に気持ち悪い、と言われてしまった。
 早く終われーと念じつつも、講習は疎かにしない。
 勉強と恋の両立。これができれば最高に格好いいだろう。

 いまなら空も飛べるかも、と我ながらアホな発想をしつつ駅のお手洗いで鏡を覗き込む。
 髪よし、リップよし、ティッシュペーパーで鼻の頭のテカりを押さえて、これもよし。
 昨夜、ムダ毛処理を頑張ったから肌は綺麗だ。
 一度帰宅して私服に着替えてから行くことも考えたが、その分遅くなるので、このまま向かう。
 憧れの制服デート……にはならないけれど、由良が英聖館の制服を着て一緒に歩いたら、ものすごく目立つだろうからそれを避ける意味ではいいのかもしれない。

 余計なライバルを増やしたくないしね。

 でも制服姿の由良は格好いいだろうなあー、と妄想する。
 一度くらい制服姿も見たいから、お願いしてみようかな。だめかな。迷惑かな。
 そんなことを考えて駅の構内から出たところで、声をかけられた。

「おい、南。なにニヤけて歩いてんだよ」

 聞き覚えのある声に振り返ると、クラスメイトの関(せき)義弘(よしひろ)がいた。
 関は吹奏楽部のトランペット奏者だ。なんでも小学生の頃から続けていて、結構上手らしい。
 トランペットは肺活量が重要で、体力づくりのためランニングや腹筋は欠かせない。そのせいか、身体は鍛えられていて、見た目からして割とゴツイ。パッと見た目には、体育会系だ。
 短い黒髪に日焼けした肌、人懐っこそうな明るい顔は南を見つけて綻んでいる。

「あれ、関君。もう部活終わったの?」

 今年、南の通う海琳(かいりん)高校の野球部が三年ぶりに夏の甲子園に出場する。
 そのため野球部が猛練習に励んでいるのは当然だが、吹奏楽部も負けてない。甲子園のスタンドからエールを送るため、部員は夏休み返上で毎日登校している。
 南がそのことを知っているのは、講習の最中に、開け放した窓から音楽が聴こえるからだ。
 関は手にしていたトランペットケースをちょっと持ち上げて言った。

「いや、いまから行くところ。午前中、じーちゃんの七回忌があってさ、さっき終わったんだ」
「そっか。忙しいね」
「南は? 帰るところか」
「ううん。ちょっと人と待ち合わせてる」

 さすがにまだ、由良を彼氏と呼べるほど実感がない。
 ただのクラスメイト、しかもこれから部活の練習に行こうという人間に、プールに泳ぎに行くとはもっと言えない。
 関は「ふうん」と言って、会話が尽きたのか、南から視線を外して言った。

「じゃあな」
「あ、待って。これあげる。陣中お見舞い」

 南は鞄からキャラメルを取り出して、関の掌に二個置いた。

「飴ちゃんかよ」

 関が笑う。
 南はキャラメルの箱を見せて言った。

「とっておき、夏限定のパイナップルキャラメルだよ」
「うわ、びみょー」
「ちゃんとおいしいよ!」

 関が「まじかよ」と言いながら一粒ポイと口に放り込む。

「どう?」
「感想は明日以降、要期待」

 と言って、関は無造作に手を上げて踵を返した。その背中に南は叫ぶ。

「頑張ってー」
「おう、頑張ってくるわ。飴ちゃん、サンキュな」

 この暑いのに、ご苦労さまだ。

 南の高校にクーラーの効く部屋は数えるほどしかない。職員室と校長室、それに保健室だけだ。
 吹奏楽部の部室は音楽室で防音だが、暑いため窓を開ける。当然、音楽は漏れる。
 演奏を聴けば、吹奏楽部員の熱の入れようもわかるのだ。野球部員が必死であるように、吹奏楽部員も必死だ。学校の名誉にかけて、半端な演奏などするものか、と心意気が見えるような音を紡いでいる。

 試合相手を決める抽選会はこれからだが、既に全校応援は決定している。生徒は基本、全員参加だ。なんでもスクールカラーの紺の帽子を着用して、白い扇子を持つらしい。
 南もいまから楽しみにしていて、甲子園の開会式にも行きたいな、と思っているほどだ。


<Leviathan(リヴァイアサン)>では由良が待っていた。
 今日はネイビーのボーダーカットソーに、白のクロップドパンツを合わせて、黒のキャンパスシューズを履いている。肩には黒いリュックサック。アクセサリーはなし、左腕に時計をつけているだけ。
 その時計がまた、シンプルで由良にはよく似合っている。ブレスレット部分がシルバー、文字盤(ダイアル)はブラックだ。
 南が褒めると、由良は左手首を一瞥して言った。

「オメガのシーマスターだよ。祖父からの貰い物。防水機能がしっかりしているから、プールで遊ぶにはちょうどいいと思って」
「由良さんもプールに入るんですか」
「気が向いたらね。あまり期待しないで」
「そ、それは無理かも、です」

 つい本音が口をつく。だってやっぱり、一緒に遊べるなら嬉しい。
 南が指を無意味にいじって言うと、由良は笑い、玄関口で見送りに立っていた有馬に言った。

「じゃあ行ってくる。夕方には戻るよ」

 有馬がなぜか、心中穏やかじゃない、という顔で不承不承、由良を送り出す。

「いってらっしゃいませ。お気をつけて」

 南が由良と真鍮の門を出たところに、黒い外車がハザードランプをつけて停車していた。
 真夏なのにブラックスーツを着た運転手が車の脇で待っていて、由良を見ると会釈し、後部座席のドアを開ける。

「どうぞ、乗って」
「え? は?」
「レディファーストだよ」

 南は戸惑うまま後部座席に乗り込み、奥に詰めると、由良が隣に座った。
 車内は広く、整然としている。内装は上質なレザーを使用した上品なもので、クーラーがほどよく効いていた。

「南さん、座り心地はどう? シートバックはリクライニング可能だけど、調整する?」
「えっと、とてもいいです」
「そう? じゃあ、シートベルトを着用してくれるかな」
「あ、はい」

 車は由良の合図で滑るように走り始めた。振動がほぼなく、快適な走行で、静粛性も高い。
 こんな車は初めて乗った、と感動する傍ら、南の気になることは別にあった。

「あの、由良さん。プ、プールに行くんですよね?」
「そうだよ」
「えっと、私、近くのスポーツセンターのプールに行くのかと思ってたんですけど、もしかして別の場所ですか」
「それは着いてからのお楽しみ」

 由良が唇に指をあて、悪戯っぽく笑う。
 南は由良のそんな他愛のないしぐさにもドキッとした。
 可愛くて、格好いい。それに加えて色っぽいって、完全に由良に負けている。
 車は二〇分ほど走り、到着したのは芸能人や海外の要人なども泊まることで有名なハイクラス・ホテル。
 呆然とする南を由良がエスコートし、連れて来られたのは、最上階の屋内プール。

「女性の更衣室はここだよ。着替えたら出ておいで」

 そう言い残し、由良は男性更衣室へと向かった。
 南はプール内を見回した。天井の一部と壁がガラス張りで、屋内は明るい。
 二十五メートルプールと、円形で大理石仕様のジャグジー、それにバーが備わっている。
 所々にグリーンが飾られて、プールサイドにはリクライニングチェアが適度な距離間隔で置かれ、椅子とテーブルもある。
 好きに使っていいのか、ロール状に巻かれた白いタオルがウッドテーブルに積まれていた。
 人の数は多くない。皆、ゆったりと寛いでいる。

 しばらくボーっと突っ立っていた南だが、とにかく着替えなきゃ、と更衣室に入った。
 水着は去年買った、オレンジ色のホルタービキニだ。トップもボトムもフリル付きで、可愛くて気に入っている。
 ただ問題は、由良がどう思うか。
 今更だが、南は鏡の前で悩んでいた。

 は、派手だと思われないかな。大胆なデザインじゃないし、紐タイプでもないから、普通に泳ぐ分には脱げたり外れたり、なんてドッキリにはならないけれど。

 何度も首の後ろの結び目が固いことを確認して、覚悟を決める。
 あまり待たせるのも由良に失礼だ。
 更衣室にもロールタオルがあったので、一枚拝借し、肩から羽織って出る。
 由良はプールサイドのリクライニングチェアに寛いでいた。
 水着は膝上の黒のサーフパンツで、裸の上半身に白いパーカーを着ている。

「南さん、こっち」

 由良が軽く片手を上げる。そんな合図がなくても、格好良すぎて、一番目立ってる。

「お、お待たせしました」

 恥ずかしくて、顔が上げられない。
 ところが由良はとても嬉しいことを言ってくれる。

「へぇ、ビタミンカラーも似合うね。可愛いよ。南さんはなんとなくピンクのイメージだったんだけど、そうか、こんな色も着こなせるのか」
「由良さんも、すごく素敵です!」
「ありがとう。でも男の水着姿なんて褒めなくていいよ。水着姿は女の子が主役を張るべきだ」
「あはは」

 南が笑い声を立てると、由良は表情を和らげた。

「うん、いい笑顔。さて、じゃあ早速、君の泳ぎを見せてもらおうかな」
「はい!」

 とはいえ、まず入念にストレッチ。水中で足が攣ったら、本当に生死にかかわるので大変だ。
 準備運動を終了し、タオルをチェアに置いて水に入る。
 水は温水。身体になじませながら、端へと移動する。空いているとはいえ、往復泳ぐならなるべく邪魔にならなさそうな端がいい。
 南はトプン、とまず頭まで水に浸かった。それからもう一度沈み、少し潜水して浮上する。初めはクロールで軽く流し、ターンして、次はゆっくりと平泳ぎ。
 またターンして、今度は背泳ぎ。人がいるので、バタフライは控えることにする。
 身体が水に慣れてきたので、徐々にスピードを上げる。それでもトップスピードまでは上げない。コースじゃないので、万が一衝突でもしたら大変だ。

 ひと泳ぎして満足し、そろそろ休憩しようとしたところ、スッと手を伸ばされた。
 由良だ。
 南は照れ笑いしながら由良の手を掴み、水から上がった。すぐにタオルが肩にかけられる。

「お疲れさま。見ていたよ、綺麗なフォームだった」
「えへ。フォームだけは、顧問の先生にも一番綺麗だって褒められたんです」
「君の話、もっと聞きたい。でもまずはちょっと休んで。いま飲み物を持ってくる」

 そう言って、由良はバーに向かった。
 南はなんだかお姫様扱いをされているような気分でいた。
 由良が優しい。それにすごく紳士だ。とても同世代の男子とは思えない。

「はい、どうぞ」

 と、南の前に差し出されたのはデンファレの花とパイナップルが一切れ、グラスの縁に飾られたグラスだ。

「わ、きれーい」
「ヴァージン・ピニャコラーダ。パイナップルジュースとココナツジュースのカクテルだよ。ノンアルコールだから安心して飲んで」
「いただきます」

 カクテルなんて初めてだ。ドキドキしながら、一口飲む。

「どうかな」
「おいしいです。すごく甘いのに爽やかで、なんか懐かしい感じもする」
「気に入ったならよかった」
「由良さんの飲んでいるものはなんですか」
「シャーリー・テンプル。ジンジャーエールとグレナデンシロップのカクテル。すっきりした甘さで飲みやすいから」

 これが女の子同士だったら「一口ちょうだい」と言えるけど、さすがに由良には言えない。
 由良はリクライニングチェア横のウッドテーブルにグラスを置いて、チェアに座り、足を伸ばす。
 南は自分のカクテルを半分ほど飲んでから、由良に話しかけた。

「ここ、由良さん行きつけの場所なんですか」
「夏の間、たまに来る程度かな。この屋上プールは会員制で、普通の泊り客は地下のプールに行くから夏でもあまり混まない。日光浴するには静かで環境がいいからね」

 南は驚いて言った。

「こんなに立派なプールがあるのに、日光浴だけですか」
「有馬は泳ぐけど。僕は泳げないから」
「もったいないですよ! 泳がなくても水に入るぐらいできるじゃないですか」
「水に入って、どうするの?」

 由良がキョトンとした顔で大真面目に訊ねてくる。
 改めてそう突っ込まれると、口ではどうも言いにくい。

「ええと、ひ、引っ張り合う、とか?」
「それって楽しい?」
「やってみましょう!」

 南は由良のために、もう一度ストレッチを一緒にした。
 由良がパーカーを脱いでチェアに置く。先に南がプールの端に設置された階段を下りて水に浸かり、次に由良が続く。
 二人でプールに入ったところで、スイミングキャップとスイミングゴーグルを着用した男性が現れた。静かに移動し、プールサイドのウッドベンチに座る。
 気のせいかもしれないが、こちらを見ているようだ。
 南の視線に気づいたのか、由良が教えてくれる。

「彼はホテル側の監視員だよ」
「そっか。普通、監視員はいますよね」
「普段は監視カメラだけどね」

 だったらどうして、いまは監視員がついているのかな、と疑問に思った。
 だが由良に、パシャッ、と顔に水をかけられて疑問が霧散する。

「こら、デート中に他の男を見ない」

 彼氏っぽいセリフに胸がドキドキする。
 ここは彼女としてどう答えるのが理想的なのだろう。

「み、み、み、見てませんよ。由良さんで、いっぱいです。本当です」

 しどろもどろになってしまったけど、そう伝えると、由良は微笑んだ。
 南は由良が笑ってくれたことにホッとし、由良に向けて掌を上に両手を差し出す。

「はい、最初は由良さんを引きます」
「君が僕を?」

 南の手に由良の手が重なる。さすがに男の人の手だ。南より一回り大きい。

「足を床から放してくださいね。はい、歩きますよー」

 指示に従い、由良がおとなしく南に引かれるままになる。水の浮力が働き、少しの力でも引っ張れるのだ。
 そのままゆっくりと一〇メートルほど進んで、止まる。

「じゃあ、次は南さんの番」

 手を組み替える。
 由良に引かれるまま、水面上を滑っていく。水に顔はつけず、由良と眼を合わせる。
 はっきり言って、見とれていた。
 由良のいままでに見たことないはしゃいだ表情に、南はなんだか幸せな気持ちになる。

「どうしてかな。泳がなくても、君とこうしているだけで楽しい」

 南は由良から手を放し、水中でクルリと素早く一回転してから床に足をつけた。

「私も、由良さんといるだけで楽しいです」

 ちょっぴり勇気のいるセリフだったが、頑張って伝えた。
 それなのに由良が感心したのは別のことだ。

「びっくりした。いまの、どうやったの?」
「え? えと、ただ回っただけですけど。こう、水の中で前回りです」
「僕にもできるかな。教えてくれる?」

 南は二つ返事で了承し、それから由良が水中で一回転できるまで特訓した。
 途中、水を飲んで咳き込む由良の背中を擦ったり、斜めになる身体を押したり、となかなか上手くできなかったが、その時間が楽しかった。
 ようやく一回転に成功し、元の位置に立てたときには、二人でハイタッチした。

「ありがとう、南さん」

 夕焼けを背景に、髪や肌を水に濡らして笑う由良は色っぽいのにあどけなくて、とても綺麗で、南の胸を締めつけた。

 
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