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八月七日・ショッピング

 改題しました。
 
 
<< 前の話


 午前中は学校の体育館に全校生徒が集まり、甲子園での応援合戦に向けて最後の全体練習と決起集会があった。

「ああもう、遅くなっちゃった。由良さん、待ってるかな」

 南は一度帰宅してシャワーと昼食を済ませ、すぐ出かけようとしたところ、足止めを食ってしまった。要冷蔵の宅急便が届いたり、家電が鳴ったり、母におつかいを頼まれたりして、予定よりだいぶ出発が遅れてしまう。
 あらかじめ由良に「走らないで」と念を押されなければ、爆走していたに違いない。
 南はできるだけ急ぎ足で<Leviathan(リヴァイアサン)>を訪ねた。

「あー、リコちゃんだー」
「エイミちゃん、こんにちは」

 ちょうど玄関前でエイミと鉢合わせた。
 彼女はブランド物の派手なロゴTシャツにタイトなデニムスカート、赤いスニーカーを履いて、重そうなキャリーバッグを引いている。

「なになに、今日は由良君と外デート?」
「えっ。な、なんでわかるの?」
「そりゃわかるよー。ボタニカル柄のフレアースカートにリネンの半袖シャツ、ぺたんこシューズだけど小物もバッグもトレンドコーデじゃん」
「……気合入りすぎかな?」

 昨晩、由良に甲子園に必要な対策や持ち物をメールで教えると、合羽(かっぱ)を持っていないと返信がきた。もし雨に降られたら、試合中は周りの人の迷惑になるので傘をさしての観戦はできない。合羽はできればあった方がいい。そう伝えたところ、買いに行くから付き合ってほしいと誘われた。

 もちろん、即OKですよ! 

 たかが合羽。されど合羽。色気のない買い物だけどいいの、なんでも。二人で出かけられるなら。
 初ショッピングデートなので、いつもと違う感じで攻めてみたいと考えたその結果。

「に、似合わない……?」

 南は恐る恐るエイミに訊ねた。

「ううん、似合うよぉ。ちょい大人めって感じ。でもぉ、メイクが合ってないかなー」

 痛恨のダメ出しに南は青くなって叫ぶ。

「変!?」
「変。でも大丈夫。未来のスーパーメイクアップアーティスト、エイミちゃんに任せなさーい」

 ニコッと笑って、エイミは南を<Leviathan(リヴァイアサン)>の女性用(パウダー)化粧室(ルーム)に引っ張り込んだ。そしてキャリーバッグを開け、クレンジングオイルと洗顔料を取り出す。

「いったん全部落そう。ぬるま湯でしっかりすすいでねー」

 南はおとなしく従うことにした。化粧落としが済むと、エイミは洗面台の上にメイク道具を広げて、迷いのない手つきでメイクし始める。
 十分後、鏡に映る自分の顔を見て南は眼を瞠った。

「時短メイクの割に、きれいにできたでしょー?」

 南はエイミと両手を繋いでぴょこんと跳ねた。

「エイミちゃん、天才! すごい! 最高! ありがとう!!」
「そんなに喜んでもらえるなら、エイミも嬉しいよぉ」
「まるで本当の魔法使いみたい」

 自分で言うのもなんだけど、こんなに可愛くなるとは思わなかった。
 すっかり感心して南がエイミを褒めると、彼女は照れながらも嬉しそうに笑った。

「もういいから、わかったから、ほら、由良君がお待ちかねじゃないのー?」
「そうだった。早く行かなきゃ。あの、後でちゃんとお礼するね! 本当にありがとう」

 心から感謝して、南はエイミの手を放し、化粧室から急いで出た。
 リビングフロアでは由良の他に有馬、テルが集まってわいわいしていた。教授はゆったりとピアノを弾いていて、オープンキッチンではマスターがサイフォンを使い珈琲を淹れている。

「こんにちは。お邪魔します」

 南の挨拶にいち早く反応したのはテルだった。

「おー。こんちは、南ちゃん……って、あれ? なんか、いつもと雰囲気違くない?」

 次に由良が口を開く。

「本当だ。今日は一段と可愛いね」

 由良の率直な感想に、たちまち心拍数が急上昇する。
 南はドキドキうるさい心臓を意識しつつ、はにかみながら答えた。

「えへへ……あの、玄関でエイミちゃんにばったり会って、メイクしてもらったんです」

 テルが「へぇ」と感嘆の呟きを漏らし、南より遅れて現れたエイミに「おまえ、やるじゃん」とハイタッチを要求している。
 だが有馬だけは一言もなく、南と眼が合うとやや怯んだ様子で視線を背けてしまう。
 由良はソファから立つと、帽子掛けから黒のワークキャップを取って被る。今日の彼はアビスカラーの開襟シャツに細身のボトムを合わせ、黒のオペラシューズを履き、左手首に革ベルトの時計をつけている。小さめのショルダーバッグを肩に引っ掛けると、南に呼びかけた。

「じゃ、行こうか」
「はい。えっと、行ってきます」

 南はペコリとみんなにお辞儀して、由良の背中を追いかけた。
 玄関口で、見送りに出てきた有馬が由良へ心配そうに声をかける。

「由良様、熱中症にくれぐれもご注意ください」
「ああ」

 由良が素っ気なく頷くと、有馬は物思わしげな顔で「いってらっしゃいませ」と頭を下げた。
<Leviathan(リヴァイアサン)>から離れたところで、車道側を歩く由良が南に話しかけてきた。

「……有馬が君に見惚れていたね」

 南はぷっと笑い飛ばした。

「まさかぁ。だって有馬さんと眼が合いましたけど、思いっきり逸らされましたもん」
「ふうん? じゃあ僕の勘違いかな」
「きっとそうですよ」

 いくら化粧で化けたからといっても、そこまで劇的に変身したわけじゃない。第一、有馬のあの気まずそうな態度は、見惚れていたというよりも見てはいけないものを見てしまった、という反応に近い気がする。

 ……自虐ネタになりそうだから、由良さんには言わないけど。

 それきり会話が途絶えたため南が由良を見上げると、彼はなんだか拗ねたような、怒っているような、苛ついた顔をしていた。

「あの、由良さん? どうかしましたか」
「……なんだろうね。理由はわからないけど、説明のつかない感情で胸がモヤモヤするよ」
「そういうときは、深く考えすぎない方がいいですよ。今わからなくても後からわかる場合もありますし、他に楽しいことをしていれば忘れちゃったりして、気にならなくなりますよー」
「そんなものかな」
「そういうことにしておきましょう!」

 由良がクスリと笑う。つられて南も笑った。
 ついでスマホのアプリで検索し、近場の駅からの電車の発車時刻を確認してみる。

「少し急げば、次の快速電車に間に合いそうです。走ります?」
「いや、やめよう。焦って君が転んで怪我でもしたら大変だ。次でいいよ」

 それから由良はちょっと言いにくそうに、南へ耳打ちした。

「実は、電車に乗ったことがなくて。乗り方を教えてくれる?」

 びっくりした。
 南の衝撃が表情から伝わったのだろう。由良はやや気恥ずかしそうに事情を口にする。

「その、移動はいつも車やヘリを使うから……」

 ヘリ=ヘリコプターか。なんでもないことのようにサラッと言う由良に二度びっくりだ。
 薄々わかってはいたけれど、きっと彼は経済的に裕福な家庭の人だと思う。言葉遣いやお茶の飲み方、落ち着いた物腰はきちんとしていて品があるし、身に着けている服や靴、小物はシンプルだけど上質だ。とどめは『電車に乗ったことがない』らしい。庶民では、まずありえない。

 そんな彼と、少しも隔たりを感じない、と言ったら嘘になる。
 南はグッと奥歯を噛みしめた。

 ……でも、だから?

 たとえ家がお金持ちでも、電車に乗ったことがなくても、由良は由良だ。
 急な夕立で困っていたとき、傘を貸してくれた。
『すてきな恋がしたい』という夢を叶えてくれた。
 毎日会いに行っても嫌そうな顔をせず、笑顔で迎えてくれる優しい彼なのだ。

 細かいことは気にしないようにしよう。

 そう決めた南はニコッとして、ごく普通に応じた。

「電車は、まず券売機で切符を買って、改札を通ってホームから乗ります。これから乗車する機会が増えるならSuicaというICカードを購入してもいいですけど、どうしますか」

 由良は南の態度にホッとした様子で、「切符にしよう」と答えた。
 間もなく駅に着く。券売機で切符を買い、自動改札機を通る。ホームで電車の到着を待つ間も、乗車してからも、流れる車窓の景色に見入ったりするなど、由良は物珍しそうに眼を輝かせていた。
 南は好奇心いっぱいの子供みたいな由良の反応がおかしくて、ちょっと可愛いとすら思ってしまい、彼の横で笑いを堪えるのに必死だった。

「電車って面白いね」

 やはり大人っぽく見えても、男の子は男の子なのだ。由良は電車をすごく気に入ったらしい。
 とびきり楽しそうな様子の由良に、南は車道を走る路線バスを指して言う。

「次はバスもどうですか」
「バスか。実はバスも乗ったことがなくて」

 予想的中。由良の返答は南の想定内だった。
 でも、だったら、バスも電車も乗らずに小学校の社会科見学や中学・高校の修学旅行はどうしたのか、と疑問が浮かぶ。飛行機と自家用車で参加したとでも言うのだろうか。
 尋ねてみたい気持ちでいっぱいだったが、彼は訊かれたくないかもしれない。
 そう考えると、なにも聞けなくなって、努めて明るく言った。

「じゃあ少し時間はかかりますけど、帰りはバスにしましょう!」

 南の提案を由良は嬉しそうに二つ返事で了承する。
 夏休暇で賑わう街を由良と二人で肩を並べて歩く。話題が尽きて会話に困ることはまったくなかった。聞けば、由良は街歩きを滅多にしないらしい。だからなにもかもが、すべて目新しいと言う。
 南は南で、楽しそうな由良の隣にいられるだけで満足だった。

 目的の合羽は登山グッズやアウトドア用品なども揃う、大型のスポーツショップで買った。

「僕の買い物に付き合ってくれてありがとう、南さん」
「ううん。私こそ、由良さんに誘ってもらえて嬉しかったです」

 折り目正しく礼を言う由良にそう返事すると、お茶に誘われた。
 その後、カフェでおしゃべりして、本屋に立ち寄ってから、バスで帰途につく。
 その間、二人でずっと喋っていた。
 由良は大変な聞き上手、褒め上手で、南のなんの変哲もないつまらない日常生活にも耳を傾け、終始楽しそうに笑っていた。



 帰宅後、明日の準備を済ませてから幼なじみの佳澄にLINEで由良のことを報告すると、即レスが返ってきた。


『彼氏ができたのはいいとして、期間限定ってなに!?』
『彼の都合で、今月末までのお付き合いなんだ』
『お試し期間ってこと?』
『違うよ。なにか用事があるみたい』
『怪しすぎるし。まさかおっさん相手の不倫とか言わないよね』
『高校生だよ! 英聖館の三年生』
『英聖!? 名門じゃん。いつどこで会ったわけ?』


 南が前に傘を貸してくれた男の人だと説明すると、五分以上間が空いた。
 LINEでは即レスが基本の佳澄にしては珍しい。
 着信音が鳴って見ると、短いメッセージ。


『彼、いい人?』
『うん、すごく』
『そっか。ならいいや。色々腑に落ちないこともあるけどさ、あんたが納得して付き合ってるならなにも言わない。いい恋しなよ、リコ』

 いい恋しなよ。
 その一言が特別な輝きを放ち、胸を熱くさせる。

「してるよ」

 南は声に出して呟いた。
 スマートフォンの画面を見つめる。待ち受けは、<Leviathan(リヴァイアサン)>の庭で撮った由良とのツーショット写真だ。
 濃い緑が溢れ、サマー・スノーが咲き乱れている中で、由良と自分が肩を寄せて笑っている。
 南がベッドに寝っ転がってしばらく写真に見入っていると、着信メールがあった。
 由良の名前に思わず飛び起きる。


『今日はありがとう。明日、甲子園球場で。おやすみ』


 他愛のない内容だけど、それでもすごく嬉しくて、南は震える手で即レスした。


『おやすみなさい。明日、甲子園球場で会えるのを楽しみにしています』


 心が躍る。南はスマートフォンをギュッと手に握りしめて、枕を抱きかかえた。
 自分でも本当に不思議だけど、別れたばかりなのに由良に会いたくてたまらない。明日会えるとわかっていても待ち遠しくて、離れている間は時間が経つのがやけに遅く感じられて、でも会っているときはあっという間に時間が過ぎていく。
 恋しい甘い気持ちが全身に広がって、スマホの中の由良の笑顔から眼が離せない。

「好き」

 誰も見ていない部屋で、南はツーショット写真の由良にちゅっとキスした。

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