オリジナル小説サイトです。新刊書籍 王宮書庫のご意見番 恋するきっかけは秘密の王子様 発売中  異世界の本屋さんへようこそ! 全3巻 & 既刊 愛してると言いなさい全4巻 アルファポリス様より発売中です。よろしくお願いいたします
 こんにちは、安芸とわこです。

 彼はまーだぐずっています。ダメな男まっしぐら。
 でもようやく「ごめんなさい」ができました。
 
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ゼクス・十三

「すまなかった……」

 ゼクスはベンチに座るエミオンからゆっくりと距離を取った。つくづく眺める。淡い月光に浮かび上がるエミオンは罪なくらい美しい。

 ……思った通り、白いドレスがよく似合っている。

 今宵のために、清純なエミオンに相応しい純白を選んだ。布地は光沢を備えた最上質のものを取り寄せ、着心地に配慮しながらも露出の少ない最先端のデザインで作らせた。正面はシンプルに、背面はドレープを贅沢に、過度な装飾のないドレスは動作やしぐさの一つ一つを際立たせ、より優雅にエミオンを輝かせていた。
 今日は髪型も手が込んでいたし、化粧も華やかだ。眼が眩むほどきれいで、なのに一言も褒め言葉を口にできなくて……ゼクスは自分の不甲斐なさにほとほと嫌気がさしてしまった。着飾った妻を称賛することもできないなど、夫失格だろう。
 怒って非難されても仕方ないくらいなのに、エミオンはゼクスを責めなかった。ゼクスといえば、自分にがっかりしていた。
 せめてこの口下手な性分さえどうにかできれば、もう少し上手にエミオンの心に近づけるだろうに……どうしてもエミオンの前に出ると委縮してしまい思うように振る舞えない。

 ダメな男だ……。

 ゼクスは顔を背けた。この続きはとてもではないがエミオンの顔を見ては話せない。
 式典の間中、ゼクスはこっそりエミオンだけを眺めていた。幸福だった。ただ傍にいられるだけで、それだけで本当に幸せだった。やや離れた場所で式典に列席する側近のダンが「自分の妻にぼけっと見惚れているな、前を見ろ! しゃきっとしろ!」としきりに目配せを送って寄こすが、ゼクスはかまうものか、と開き直っていた。夫が美しい妻に見惚れてなにが悪い。

「……?」

 だが当のエミオンはなんだかしょんぼりした様子で、元気がなかった。迎えに行ったときはそわそわと落ちつかないながらもこんなに暗い顔をしてはいなかったのに。原因を探ろうにもなんて言葉をかけたらよいものかわからず、グズグズする間にダンスが始まり、うまい誘い文句も思いつかず機を逃し、あとは人波に殺到され、はぐれてしまった。
 大広間に入って来たエミオンを見つけた瞬間は、一気に気分が高揚した。眼が奪われる。呼吸をするのも不自由なくらい陶然となりかけたところで、周囲の男たちの物欲しげな視線がエミオンに注がれていることに気づいた。
 嫉妬した。見るな、と大声で叫びたかった。これだから人前にエミオンを連れ出すのは嫌なのだ。他の男の眼に触れるだけでエミオンが穢されるようで、とても我慢ならない。
 ゼクスはすぐさまエミオンをこの場から隔離しようとした。だがその前にエミオンの様子がおかしいことに気がついた。――頬に涙の痕がある!
 たちまちどす黒い感情が心を占めた。他にはなにも考えられなくなった。あの気丈なエミオンが泣くほど傷つけられたことに抑えようのない怒りを覚えた。胸の奥から報復を誓う念がむくむくと首をもたげてくる。
 だが結局のところ、ゼクスの心配は杞憂にすぎず、エミオンの言い分では誰も悪くはないらしい。
 釈然とせず表情を曇らせたゼクスの前で、エミオンもなにか葛藤に苛まれている。

 ……お互いがお互いの拠り所となれるような夫婦関係だったらよかったのに。

 今更そんなふうに理解し合うことは無理があるにしても、せめて泣かせたくない。いつだって笑っていてほしい。
 たったそれだけの願いすらかなわないのは、やはり自分の行いに非があるのだろう。

 ……私の身勝手さが、あなたを不幸にしている。

 ゼクスはますます自己嫌悪に陥りながら、無様な懺悔を続けた。

「あのとき……」
「『あのとき』……?」
「はじめて会ったあのとき、あなたは……大人たちに囲まれて一人つまらなそうにしていた。私はあなたを一目見たときから眼が離せなくて、笑った顔を見てみたくて……」

 まるでエミオンの居場所にだけ光が射したように鮮やかで、キラキラと輝いて見えた。

「近づきたいのに近づけなくて……私はただ遠巻きにあなたを見ていたんだ。どうしたらあなたの笑顔を見られるのか、それだけを考えながら……」

 ――名前も知らない女の子。
 ――どうか、笑って。

 ゼクスは夜陰の中で自嘲的な笑いを浮かべた。

「……生憎と言葉を選び損ねてしまい私の願いはかなわなかったけれど……あなたを傷つけるつもりはなかった。泣かせるつもりなど本当になくて……いや、言い訳など見苦しいな」

 深い後悔に苛まれながらゼクスは「ふーっ」と肩から力を抜き、溜め息をつく。

「後悔先に立たずとはよく言ったものだ……あの一言で私はあなたに嫌われ、避けられるようになり、ようやく物心がついたときには既に溝は深く……あなたは私を見るごとに険悪な表情を浮かべるようになった……」

 自業自得だ。もう何千回もそう繰り返して己のバカさ加減を呪った。

「取り返しのつかないことを言ったと、ずっと後悔している……あんな心にもないことを告げなければ私とあなたの関係はもっと違ったものになった可能性もあるのに……無知とは罪だな。私は掛け値なしのバカだ」
「……ま、待って……」
「あなたはブスではない。あなたは」

 口ごもる。
 本当の気持ちをほんのひとこと言葉にするだけなのに、どうしてこんなにも緊張するのだろう。
 ゼクスは心を震わせながら、エミオンにはそれと悟られぬよう息を詰めて呟いた。

「あなたは……この世で一番美しい人だ……」


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【2014/04/22 14:42】 | 受難の恋
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 春なので、テンプレートを春仕様に変更しました。
 作ってくださった方、ありがとうございます。
 
 終盤にきて、ぐずぐずと、煮え切らない2人です。
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エミオン・十三

 そんなことあるはずないのに――。
 だけどゼクスの言い分を聞いていると、まるで告白されているような気がする。
 まさか。
 でも――?

 混乱したままエミオンがおずおずと訊ねたところ、ゼクスは途端に無表情になった。
 その顔を見て、エミオンの気持ちは一気に萎んだ。やはり勘違いだったのだ。ばかなことを訊いてしまった、とすぐに後悔した。
 非常に長い沈黙のあと、ゼクスは肩を所在なげに落として深い溜め息をついた。

「……それを聞いてどうする……?」

 疲れ切った声でゼクスは言った。

「……あなたが私の気持ちを知ったところで、十中八九……不愉快な思いをするだけだ」

 物憂い口調の中に諦めが色濃く滲んでいる。
 エミオンはゼクスを見つめた。長身で痩せぎす、思慮深くも陰気で無口な上に愛想もなく、若さを欠いた哀愁の漂う雰囲気を纏っている。
 
 いつもどこか暗く、寂しげで。
 いったい、いつから……?

 エミオンは無意識のうちにやや前屈みになり、伸ばした指でゼクスの額にこぼれた黒髪を梳いて彼の形のいい耳にかけた。

 ――初めて会ったときは、キラキラしていた。

 いきなり「ドブス!」と罵られた、忘れもしない初対面。
 子供らしく、事実子供だったのだけれど、ゼクスの黒い双眸は夜空に瞬く星のように屈託なく輝いていた。ゼクスの明るく嬉しそうな無邪気な顔と、周囲のぎょっと緊張した空気のギャップが激しくて、ひどく戸惑ったものだ。
 幼すぎて、ぶつけられた言葉の意味もわからなかった。
 教えられたときには、その子のことを嫌いになっていた。
 だけど少なくとも最初からこんな鬱々とした眼だったわけじゃない。

 ……誰かが、ゼクスを変えた。こんなにも思い詰めた眼をさせるほど、彼を恋に狂わせた。
 ――彼を、恋に……狂わせ、た……。

 過去に思いを馳せ物思いに耽ったエミオンの耳に、不意にゼクスのポツリとした呟きが届いた。

「エミー……」
「え?」
「っ。す、すまない!」

 焦って身を退いたゼクスは顔を横に背け、手の甲で口元を押さえた。羞恥のためだろうか、少し頬が赤い。
 エミオンも我に返り、いつのまにかゼクスに身体を寄せていたことに気づいた。指にサラサラしたゼクスの髪の感触が残っている。

「あ……」

 もう片方の手で右手を覆い、胸に押しつける。指が熱い。今更ドキドキしてきた。

「……」
「……」

 木々の枝が風にしなり、さわさわと音を立てる。噴水の絶えまない水音と遠くから聴こえる舞踏会の音楽が二人の間の沈黙を優しいものにしていた。

「あの……」
「……なんだ」

 エミオンはゼクスを見ずに口を利いた。

「さっき、エミーって……呼びました?」

 ゼクスがピクリと震える気配がした。

「……呼んだ。口が……滑った。すまない」
「いえ……久しぶりに、そう呼ばれました」
「そ、そうか」
「はい」

 また会話が途切れる。

「……」
「……」

 今度はゼクスが意を決したように勢い込んで言った。

「エミオン姫」
「……はい?」
「……ずっと以前から、言おうと思っていたことがあるのだ。聞いてくれるか」

 声が緊張のため掠れている。
 エミオンは手を振り、ちょっと待って、という動作をして気を落ちつけようと思った。

 ――話を切り出されるより、切り出そうと腹を決めたのだろう。

 アギルの言葉が真実ならば、ゼクスは道ならぬ恋をしているに違いない。自分というかりそめの妻を隠れ蓑に、叶わぬ想いに身を焦がし、ただ一途な恋をしている。

 ――その相手が、誰なのか。
 知りたい。知りたくない。

 もう何度も自問自答して、繰り返し、繰り返し、悩んできた。
 ゼクスが言い出してくれないのなら、こちらから問い質そうと思っていた。でもいざとなると勇気がなくて挫けていた。

 でも、もう限界だ。
 聞くしかない。
 知るしかない。
 結局のところ、逃げても苦しみが長引くだけ……なんの問題の解決にもならないのだから。

 エミオンは唾を飲み、グッと拳を握ってゼクスを振り返った。
 ゼクスもエミオンに劣らず、厳しい表情をしていた。寄せた眉、思い詰めた漆黒の瞳にはエミオンが映っている。

「……聞いてくれるか」
「……聞かせてください」

 エミオンが応じるとゼクスは頷いて、ゆっくりと唇を動かした。

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【2014/04/04 14:59】 | 受難の恋
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菜の月
『嘘キス』『迷惑な溺愛者』を読み、こちらのサイトにたどり着きました。
『受難の恋』ドキドキします!!
続きがとても楽しみです(*^_^*)

素敵なお話を有り難うございます!!



Re: 菜の月様へ
安芸とわこ
 こんばんは、菜の月様!
 はじめまして。ご来訪ありがとうございます。
 拙作、嘘キス・迷惑~の拝読いただきまして嬉しいです。
 皆様に少しでも楽しんでいただければ望外の喜びです。
 受難~は残すところあと数話ですが、どうぞ最後までよろしくお願いいたします。
 安芸とわこでした。

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 こんばんは、安芸です。
 久々の更新です。ようやく、ここまで至りました。
 お時間のあるときにでもおつきあいいただければ嬉しいです。
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ゼクス・十二


 どれくらいぶりだろう、こんなに近くでエミオンの顔を見るのは。

 憔悴して疲れ切った美貌が痛々しい。以前の天真爛漫な明るい瞳はなりを潜め、いまはすっかり陰りを帯びて憂いが晴れることはない。
 その上、眼元や白い頬にひどく泣き腫らした痕が残っている。
 ゼクスは抑えきれないくらいの怒りを感じてエミオンに再度問い質した。

「……あなたの耳にろくでもない戯言を吹き込み泣かせた許し難い者は、どこの誰だ。教えてくれ。私が斬って捨ててくる。それとも、どうしてもあなたの口から言いたくないのであれば後日調べて片をつけると約束する。だから、頼む。そんなに悲しい眼をしないでくれ――あなたに悲愴な顔をされると、私は……」

 心苦しくてならない。
 どう慰めればいいものか、手段に困る。
 ……もし相思相愛の相手ならばいくらでも方法はあろう。抱き寄せて、髪を撫で、口づけをし、優しい言葉をかける。温もりと愛情を一身に注ぐことができれば、安らぎを与えることはできよう。
 それが許されるなら。
 ――だが。
 ……許されぬ身の上であるときは、どうすればいい。

 ゼクスは震える息を吐いて視線を落とした。無力な自分が厭わしい、と歯ぎしりする。ゼクスに思いつくのは、せいぜい花を贈るとか、好物を届けるとか、犬を与えるとか、そのぐらいだ。他の誰にもできることばかりで、心から寄り添い傷心の妻を労わる夫らしいことは、ひとつも出来やしない。
 ゼクスは掴んでいたエミオンの二の腕をそっと放し、ゆっくりと足元に跪いた。

「……声を荒げて、すまない」

 つい感情が昂って怒鳴りつけてしまったことを、ゼクスは詫びた。

「……その、繰り返し言うが……私はあなたを嫌ってなど、いない……。むしろ私こそが、あなたに嫌われているだろう……」

 直視したくない現実だが、他でもない自分の日頃の行いが招いた結果だ。
 ゼクスはただでさえ悪い顔色をよりいっそう悪化させながら俯き、のろのろと口を開いた。

「わかっている……これまで私があなたにしてきた数々の非礼を省みれば、嫌われるのは仕方のないことだし、理解に足る。だから……あなたが私をまともに相手にしたくなくても、やむを得ないことだと……思う。卑怯な手であなたを娶った私を、許せなくてもあたりまえだと……思う。一生憎まれることも覚悟の上で……一方的に、我儘を通したのだ……」

 自虐の言葉が矢の如く胸にぶすぶすと突き刺さる。
 おそらく、いまとてもひどい顔をしているだろう。それこそダンに見られようものならば即、主治医を呼ばれてベッドに寝かされ、面会謝絶にされかねない。
 ただでさえ不眠症気味なのに加え、ここのところのエミオンとの不和のせいで余計に眠れない日々が続いていた。
 ゼクスにとって、ただ黙々と政務をこなしているときだけがエミオンのことを考えずに済む時間であり、身体は疲労困憊でも心は冷静さを保っていられた。

 ところがひとたび仕事を終えてしまうと、意識はすぐにエミオンのもとへと向く。いまなにをしているのか、なにを考えているのか、どんな夢を見ているのか……。
 恋しくて、寂しくて、会いたくて……何度も部屋の前まで行っては、引き返した。
 いまもって、わからない。なぜエミオンがあれほど怒り狂ったのか。自分から別れることも離れることもできない以上、エミオンの手で殺されるなら本望だったのに。
 ゼクスが正直にそう告げたあと、エミオンは涙目でゼクスを罵り、部屋から叩き出した。

 そのまま現在に至る。
 ……どうして冷戦状態になったのか。
 ……嫌いな男でも自ら手にかけるのは嫌だったのだろうか?
 自問自答を何度繰り返しても正解はわからずじまいで、苛立ちばかりが募ってゆく。
 ゼクスは深い溜め息を吐いた。頭も身体も、鉛のように重い。手足は指先まで冷たい。
 いま、エミオンはどんな眼で自分を見つめているのだろう?

「……私は、あなたを他の男に奪われることは我慢ならなかった……それくらいならいっそ、憎まれようと恨まれようと謗(そし)られようと、どんな手を使っても私の妻にしようと心を決めていたのだ。あなたを幸せにはできなくても、大事にしようと、誰よりも大事にしようと、それだけは心に決めていたのに……それすらも、なかなかうまくいかないものだな……」

 語尾は掠れて、静寂に消えた。
 ややあってエミオンの戸惑ったような声がゼクスの耳に届いた。

「……あの」
「……なんだ」
「わ、私の、自惚れかもしれませんけれど……」

 ゼクスは身を固くした。次にエミオンがなにを言うかと想像がつかなかった。

「……もしかして、殿下は……」

 続きを待った。
 だがいくら待っても、その先が続かなかった。
 ゼクスは渋々と顔を擡げた。訝しげにエミオンを凝視したところ、今度はエミオンが顔を伏せてしまった。

「……なにか言いたいことがあれば、聞くが」
「……」

 沈黙が返ってくる。
 ゼクスはエミオンの態度に気が動転した。またなにか失言をして怒らせてしまったのだろうか? と肝を冷やしたものの、それにしてはどうも様子がおかしい。
 頬に手をあてたり、首を振ったり、口元を掌で覆ったり、ぶつぶつとなにか呟いている。
 明らかに挙動不審だ。
 ゼクスはまた無視をされるかもしれないと思いつつ、声をかけてみた。

「……そういえば、私に話があると言っていたな。どういった内容の話だ……?」

 問いかけると、エミオンがビクッとし、気を落ちつけてからようやく顎を上向かせ、ゼクスを見た。真剣な瞳だ。極度に緊張しているためか、頬が強張り唇も震えている。

「……お話をする前に、ひとつ、お訊きしたいことがあります」
「なんだ」
「……もしかして、殿下は……」

 さきほどとそっくり同じセリフを繰り返し、また黙る。
 口ごもり、言いにくそうにするエミオンを見つめ返して、ゼクスは静かに促した。

「……私が、なんだ?」

 エミオンは意を決したように一度唇を横に結んでから、たどたどしい調子で言葉を紡いだ。

「……わ、私を」
「……姫を?」
「す、す、す……」
「す?」

 ゼクスが首を傾げると、エミオンの頬が闇の中でも鮮やかに赤く染まった。
 一瞬にして色香を纏ったエミオンにゼクスが眼を奪われたそのとき、耳を澄ましていなければ聞き逃してしまいそうなか細い声でエミオンが言った。

「――もしかして殿下は……私を、好き、なのですか……?」

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【2014/03/26 23:10】 | 受難の恋
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 物語もいよいよ大詰めとなってまいりました。
 お時間のある方、おつきあいいただければ嬉しいです。
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 探すまでもなく、一目でゼクスを見つけた。
 大広間には大勢の人間が溢れかえっていたが、エミオンの眼はわずかな隙間からほんの一瞬で凛とした漆黒の姿を捕らえた。
 驚いたことに、ほぼ同時にゼクスの眼もこちらを向いてエミオンを見つめ返していた。
 二人の間には距離があったが、視線は通じている。

 ……好き。

 ただ立っているだけで膝が震える。眼が合ったことが嬉しくて、こうして遠くから見つめているだけでも幸せで、胸がいっぱいになる。

 ……あの人が好き。

 この気持ちからは逃れようもなさそうだ。たとえゼクスの心がよその女性に向けられていて自分はこのままずっと名ばかりの妻で居続けなければならないとしても、傍にいられるのなら、それでいい。想うのだけは自由のはず。報われたいと願わなければ軋轢も生まれない。
 寂しいけれど……とても寂しいけれど、望まれない身である以上なにもできない。だけど。
 エミオンはアギルの言葉を思い返した。

 ――ただひとつのものに執着し、心をそっくり明け渡している。
 ――それほど深く、恋に狂っている。

 身震いした。胸の焼けるような嫉妬を味わう。二年前、ゼクスにむりやりさらわれたときには想像もしなかった心境の変化だ。
 無口で無愛想、不器用でとっつきづらく、わかりにくい優しさしか示さず自分には手も触れないゼクスが……恋に狂っている、なんて……そんなこと、俄かには信じられない。
 違う。信じられないのではなくて、信じたくない、だ。

 ゼクスが、恋に狂っている……? 
 いったい誰に……?

 エミオンは嗚咽を噛み殺した。目の前が真っ暗になるほど衝撃を受けた。それと同時に納得もしていた。ゼクスの心が別の女性にあるなんて、とうの昔に気づいていた……。

 相手は――? 
 知りたい。知りたくない。
 知りたい。知りたくない……!

 エミオンはそんな相反する気持ちを抱えながらゼクスのもとへ一歩を踏み出した。するとゼクスもはっと我に返ったようにエミオンの方へ歩みを進めて来る。
 周囲より興味を惹かれたような視線がまとわりつく。
 声が届く距離まで近づいたのでエミオンはいったん口を開いたものの、話しかける前に突然ゼクスの手が伸びて腕を掴まれた。

「あ、あの」
「来い」

 有無を言わさず引っ張られ、大広間のバルコニーから夜陰の深い中庭へ連れ出された。

「どちらへ」
「……」

 無言で中庭を突っ切り、一つ目の噴水広場を過ぎて二つ目の噴水広場まで来た。天空にぽっかりと浮かぶ月を突くような細い糸杉が左右の散歩道に一直線に立ち並び、大理石造りの噴水は夜でも水を撒き散らしている。人影はなく、点々と灯る角灯の薄明かりが優しい空間を演出して憩うにはもってこいだ。
 ゼクスはエミオンを空いているベンチに座らせ、肩を怒らせたままエミオンの足元に片膝をついた。上目遣いに顔を覗き込まれてエミオンは怯んだ。ゼクスは見るからに不機嫌で、眼が険しく細められていて怖い。
 だがゼクスが憤る理由に心当たりがなく、エミオンは不審のあまり口ごもってしまう。

「どうして……な、なにを怒っていらっしゃるんですか?」
「……誰に泣かされた」
「え?」
「誰に泣かされたのだ、と訊いている」

 憮然と繰り返す声は低く、殺気すら帯びている。
 エミオンはゼクスの気色ばんだ態度におののき、返事が出来なかった。俯くと、即座にゼクスの指が顎に伸びて顔を上向けられ、視線を絡め取られた。

「眼が赤い……腫れている。こんなに涙の痕を残して……」
「あまり見ないでください」

 恥ずかしい。
 散々泣いたあとなのに化粧直しにまで考えが及ばなかった。さぞやひどい顔なのだろう。
 エミオンが身体をずらしてゼクスより距離をとろうとすると、両方の二の腕を掴まれベンチに押さえつけられた。
 ゼクスはいまにも切れそうな理性を抑えている表情でエミオンを問い詰めた。

「……涙の理由は? 暴言か、暴力か? それともなにか辱めを受けたのか? 言ってみろ。私が報復してきてやる。あなたを悲しませたのだ、相手が誰であろうと許しはしない……」
「誤解です。誰にもなにもされていません。これは……その……醜い嫉妬のため、です」

 エミオンの言葉にゼクスは怪訝そうに眉を顰めた。若干、拘束力が弱まる。

「……嫉妬……?」

 掴まれている腕が熱い。
 強い力。訝しそうな黒い瞳。こんなにも近くにいて、心だけが遥か遠くにあるなんて理不尽だ。もっとも、自業自得、とわかってはいるけれど。
 でも、どうにかしたい。少しでもわかりあえたら、と思う。すぐには無理でも関係改善のための一歩を踏み出したい。
 エミオンは勇気を振り絞った。

「あの」

 訊きたい。
 知りたい。

「殿下にお訊ねしたいことがあります」

 聞いて欲しい。
 知って欲しい。

「――話があるんです」

 エミオンはいまにも挫けそうな心を鼓舞しながら、吃とゼクスを見据えた。

「以前、殿下は話が苦手だとおっしゃしましたが今日はどうしても聞いていただきたいのです。お、教えていただきたいことも、あります。殿下が私を嫌いでも、ほんの少しの時間でかまいません。どうか私に付き合ってください。お願いします」

 一気に喋った。
 緊張のあまり息が切れた。手足が震え、歯の根も合わない。ゼクスの返答が怖くて腰が抜けそうだ。ここまで言って断られたらどうしよう?
 エミオンの切羽詰まった心中をよそに、ゼクスの反応は間が抜けていた。

「は?」

 面食らった顔で一瞬沈黙し、そのすぐあとにゼクスは血相を変えてエミオンを揺さぶった。

「待て。なんだそれは。私があなたを嫌いだと? 誰がそんなばかなことを言った!?」

 大声で喚くゼクスの剣幕にややたじろいだものの、エミオンは負けまいと声を張り上げた。

「嫌いでしょう? ごまかさなくてもいいんです。もう、わかっていますから。私は名ばかりの妻です。結婚して二年も経つのに殿下のお役に立つようなことをなにもしていないんですもの、嫌われても仕方ありません。あまり相手にもしたくないのでしょうけれど、でもお願いです。少しだけでかまいません、話をさせてください!」

 ゼクスは眼を剥いて叫んだ。

「嫌ってなどいない! 誰があなたを嫌うものか」

 エミオンも同じくらい激しく言い返した。

「嫌いでもいいんです! 話をする時間をくださればそれで」

 ゼクスがエミオンの額に額を寄せて怒りもあらわに不満を爆発させた。

「よくない! 私があなたを嫌いだなどと、そんな悪辣な誤解をそのままにしておけるかっ。話だと!? そんなものはいくらだって聞くし、時間だって好きなだけくれてやる。あなたが付き合えと言うならどこへでもいつなりとも付き合うし、幾日でも望むだけ相手になろう。だからいいか、私があなたを嫌いだなんてでまかせを金輪際一瞬たりとも信じるな!!」

 ゼクスの迫力に気圧されてエミオンはしばらく固まっていた。
 思考回路が正常に機能しはじめたのはゼクスの息が上がって鳩のように膨らんだ胸が平らになってからで、それでもまだ茫然としたままエミオンは呟いた。

「……変です」
「なにが」
「変ですよ」
「だからなにが」
「だって私のことを嫌いじゃないって聞こえます」
「そう言っている。私の話を聞いていなかったのか」

 すごくきつい眼で睨まれても、怖くない。
 徐々にいまの会話が身に沁みてきて、今度はエミオンがうろたえる番だった。

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【2014/01/27 10:28】 | 受難の恋
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 こんにちは、安芸です。

 受難~一話、エミオン視点が抜けていましたので、改めて補完しました。
 
 年末ですね。
 今日は朝からお餅つきです。現在進行中です。やっぱりつきたてのお餅は最高~!
 体重計がこわい……。
<< 前の話



 エミオンはゼクスに手を取られて王妃陛下に誕生祝いの挨拶を述べた。心(しん)から震えるほど緊張していたが、どうにかつつがなく終えた。国王陛下も王妃陛下もにこやかに微笑み、ゼクスと一緒にエミオンが祝賀会へ出席したことを喜んでくれた。
 両陛下に歓迎されたことが嬉しくて、エミオンも心浮き立った。ゼクスを許すわけにはいかないが、今日くらいは一時休戦してもいいかな、とも考えた。

 ゼクスが「自分を殺せ」とエミオンに迫ったあの日以来、一切口を利いていないのだ。ゼクスがどうしてあんなことを言い出したのか不明だが、エミオンとしては自分を大事にしないゼクスの発言は到底許せるものではない。第一、あんなことを言われて傷つかないわけがない。ショックだった。心臓が止まらないのが不思議なほど心を抉られた。

 名ばかりとはいえ妻なのに、名ばかりとはいえ夫から、殺害を許容されるなんてどれだけ情がないのだろう。
 死に別れてもいいくらい存在価値がないのだ、と突きつけられた気がした。
 なにも教えてくれず、傍にもいてくれず、婚姻は結んでも妻としては扱わず、他に誰か想い人がいるようなのに、離縁はしてくれない。挙句の果てに、「殺せ」だなんて。

 ――ゼクスの気持ちがわからない。

 エミオンは横に並ぶゼクスをちらっと盗み見た。黒一色の正装は見惚れるほど様になっている。月の光も弾くような真っ黒な黒髪、微塵も甘さのない黒い瞳。普段よりずっといつにもまして顰め面で、取りつく島もないくらい重苦しい雰囲気を漂わせていた。念入りに身支度を整えたエミオンを迎えに来たときからずっとこうなのだ。
 むっつりと口を噤むゼクスに対し、一時休戦を申し出ようにもどう接すればいいのかわからず、結局エミオンも沈黙を押し通していた。
 そうする間にも粛々と華やかな式典が終了すると、続いて舞踏会がはじまった。
 国王陛下と王妃陛下が最初にフロアを独占し、皆が見守る中、一曲目が終わると二曲目にはアギル第一王子が王妃陛下に指名された美しい令嬢の手を取って、溜め息が出るほど優雅に一曲踊った。次は本来ならば第三王子であるゼクスがエミオンの手を引いてフロアに出て行くべきだが、ゼクスはそうしなかった。短くかぶりを振り、音楽隊をまとめる指揮者に合図してワルツを開始させた。たちまちフロアは大勢の紳士淑女でいっぱいになった。
 そしてゼクスはあっという間に女性たちに取り囲まれた。
 エミオンは内心がっかりしていた。ゼクスがダンスを申し込んでくれる可能性は限りなく低かったが、最初の一曲くらいは、と淡い希望を抱いていたのに。
 せっかくゼクスに見劣りしないようにと一生懸命ドレスを選び、髪型を選んで、きれいに化粧をしてもらったのに、全部無駄になってしまった。こうなることも覚悟はしていたが、実際ぽつんと取り残されると想像以上に空しい。
 エミオンは美しく着飾った女性たちの相手をするゼクスをぼんやり眺めた。

 もしかしたら、あの中にゼクスの好きな人もいるのかもしれない……。

 そう思うと、誰もかれもがそう見えた。どの女性も甲乙つけがたいほど美しく、華やかで、とてもかなわない。一人一人をじっと見つめる。もし――ゼクスがダンスを申し込むような女性がいれば、たぶんその女性がゼクスの想い人だろう。

 見たくない。
 そんな場面は、見たくない。

 エミオンはゼクスに背を向けた。急いで大広間を抜け出し、逃げるように走った。途中、声をかけられても足を止めなかった。涙があふれてきて、嗚咽が堪えようもなく込み上げて、こんな顔を誰にも見られるわけにはいかなかったから。

「待った」

 不意に腕を掴まれた。
 驚いて振り返ると、アギル王子だった。

「なぜ泣いているの?」

 エミオンは顔を背けてアギルの腕を振り解こうとした。

「殿下……あ、あの、お、お放しください……」
「泣いている女性を放ってなどおけないよ。こちらにおいで」

 有無を言わさず、休憩用の客室に引き入れられた。
 アギルは扉に背を預けて寄りかかり、腕を組み、エミオンを見つめて訊ねた。

「……そんなに泣いて、私の弟があなたになにか無礼な真似でもしたかな?」

 エミオンは黙ってかぶりを振った。
 アギルは静かな落ちついた声音で言葉を紡いでいく。

「本当なら妻を追いかけるのは夫の務めだと思うのだがね……不肖の弟ですまない。兄である私から謝るよ。それはそうと、なぜ最初のダンスを踊らなかったの? 具合でも悪かった?」

 エミオンはまた首を振った。下手な受け答えはできない。
 アギルは困ったような嘆息を漏らした。

「……できるなら、あなたの涙を拭って慰めてあげたいところだが、私がそんな真似をしたら嫉妬深い弟が怒り狂ってなにをするかわからないのでね、やめておくよ。さ、もう泣くのはおよし。美人が台無しだ。あなたのような美しい人に涙など似合わないよ」

 歯の浮くようなセリフだが、アギルが口にすると不思議と嫌味に聞こえない。
 エミオンは手の甲で顔を擦りながら、泣き腫らした眼でアギルを凝視した。

「私にあなたが泣いている理由を話してくれないか? 微力でも力になれるかもしれない」
「……です」
「え?」
「……です」
「ごめん。聞こえない。もう一度言ってくれるかい?」
「……ゼクス殿下には、ほ、他に……」

 声が詰まった。
 アギルは黙ったまま眼で続きを促して来る。

「……他に好きな女性がいらっしゃるみたいです……」

 するとアギルは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。

「……ゼクスがそう言ったのかい?」

 エミオンは首を横に振って否定した。

「言葉ではなにもおっしゃいませんが……」

 二年間の夫婦生活は形だけのものでいまだに清らかな関係だ、などと誰が信じるだろう?
 でもそれが事実だ。
 さすがにこんなことまで打ち明けるわけにはいかないけれど。

「……私は、いらない妻なんです……」

 みじめだ。
 自業自得だけれど。
 お互いにわかり合う努力を怠った結果がこうだ。本当は泣く資格すらないのに。望んで結婚したわけではないけれど、関係を改善する時間は十分にあった。それなのに変な意地を張って、話し合うことも、理解しようと努めることもせず、ただ無為に時間を過ごしてきた。
 後悔しても、こんなに心が離れてしまったいまとなっては、もう遅いけれど……。

 虚ろな眼で空を見つめるエミオンに、アギルはそっと穏やかな声で囁きかけた。

「あなたがどうしてそんな誤解をしているのか、私にはわからないけれど……一度ゼクスと話し合う必要があるね」

 アギルは優しく微笑んだ。

「……私の弟は口下手で、仕事以外は要領が悪くて、人の気持ちに鈍いところがあるから苛々することも多いと思うけれど、心根はまっすぐで誰より優しい男だよ。四歳のときから、たったひとつのものだけを大事にしている。あんまり夢中で一生懸命だからまわりもほだされてね、ジョカなんて第二王位継承権まで捨てた」

 唐突に第二王子ジョカの名前が出てきてエミオンは訝しんだ。

「……ジョカ殿下?」

 アギルは微笑を絶やさずに続けた。

「……そうだよ。聞かされていない? だったら、訊いてみるといい。ジョカがなぜ第二王位継承権を放棄し、ゼクスがその地位を得たのか。ゼクスが朝から晩まで仕事漬けになっている理由や、あなたを南の棟に軟禁し外部との接触を極力断っている事情も、余さず教えてもらいなさい。すべてを知った上で、それでもまだ泣きたければ、今度は私の胸を貸そう。もっともその必要はないだろうし、あの独占欲の塊がそれを許すとも思えないけどね……」

 エミオンは力なくうなだれた。以前にも一度、「話をしたい」と申し出たことがある。あのときは断わられた。今度も同じことにならないだろうか。
 自信がない。

「……私が訊いて教えてくださるでしょうか?」
「もちろん。ゼクスがあなたに逆らえるわけがない。ゼクスはね、狂っているのだよ」

 アギルの低い囁きに鳥肌が立った。
 恐る恐る顔を上げて見返すと、アギルはぞくっとするほど美しい微笑を浮かべていた。

「ただひとつのものに執着し、心をそっくり明け渡している。それほど深く」

 アギルの声には苦々しさと呆れ、それに微かな羨望が滲んでいた。
 エミオンはいつしか泣きやみ、アギルの言葉に真剣に耳を傾けていた。

「――恋に狂ってる」


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【2013/12/28 14:27】 | 受難の恋
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