オリジナル小説サイトです。新刊書籍 王宮書庫のご意見番 恋するきっかけは秘密の王子様 発売中  異世界の本屋さんへようこそ! 全3巻 & 既刊 愛してると言いなさい全4巻 アルファポリス様より発売中です。よろしくお願いいたします
 こんにちは、安芸です。
 MerryXmas! イブイブですね。
 遅くなりましたが、ようやく一区切りつきましたので、Leviathan第4話をお届けいたします。

 私は基本的にFTが好きな物書きですが、現代物はどうしても使用する言葉が違うので、そのギャップを楽しみながら書くことにしています。今回の物語は、じわり、なんとなくいいなあ、と感じていただけるようにお届けできるよう頑張ります。
 スローペースの更新ですが、どうぞよろしくお願いします。
<< 前の話


 翌日、<Leviathan>のドアプレートがかかる玄関扉の前で南は固まっていた。
 夏期講習の帰りなので制服のままだ。白の開襟シャツに紺のネクタイ、校章入りのネクタイピン、黒とグレーのタータンチェックのスカート、白靴下と黒の革靴。駅のトイレで念入りに髪型を直して、薄いピンクのリップもつけてきた。
 一度家に帰ることも考えたが、ちょっとでも早く由良に会いたい気持ちを優先した。昨日は興奮してよく眠られなかったから頭の芯がぼうっとしているけれど、気持ちだけはナチュラルハイだ。
 煉瓦造りの建物の前に立つ。門に錠はかかってなく、手で簡単に開けることができた。だけど玄関扉の前まで来て、勇気が底をついた。どこを見まわしても呼び出しブザーがないのだ。

 ど、どうしよう?
 ノックするか、それとも庭に面した窓から中を覗いてみようか?

 南が半泣きになりながらうろうろと迷っていると、背後から声がかかった。

「こんにちは、南さん」
「ぎゃあっ」

 不意を突かれて跳び上がり、悲鳴を上げる。
 声の主を勢いよく振り返って顔を見た南はすぐに後悔した。どう考えてもかわいげのない、大げさすぎる反応だ。

「申し訳ありません。驚かせてしまいました」

 心苦しそうに頭を下げ、詫びたのは有馬だ。
 南は慌てて言った。

「い、いえ、こちらこそすみません。おおげさに叫んだりして……」

 恥ずかしい。

 その有馬の恰好を見て南は眼を見開いた。

「その制服……英聖館高校のものですよね」

 英聖館は言わずと知れた、名門中の名門だ。中学・高校・大学と十年間一貫のプログラムで社会に貢献する人材育成をモットーに掲げている。基礎学力や自立心はもちろんのこと、個人の能力も重要視され、多額の授業料もかかることから、成績優秀者やお金持ちが多いことでも有名だ。
 校則は厳しく徹底され、高校の制服は白の学ランで夏でも着用しなければならないらしい。
 有馬は南の問いに対して「はい」と首肯し、淡々と答えた。

「俺も由良様も英聖の三年です。今日は生徒会の仕事の都合で俺だけ学校に行った帰りで……っと、こんなところで立ち話もありませんね。失礼いたしました。どうぞお入りください」

 言いながら有馬は玄関のドアノブを引いた。その途端、奥からゆったりとした美しいピアノの旋律が流れてきた。
扉を閉めて有馬が中へと南を促す。どうやら土足のままでいいらしい。

「ショパンのノクターン第二番です。今日は教授がいらしているようですね」

 入ってすぐの壁に大きな絵画が飾られている。傍には猫脚の優美なコートハンガーと帽子掛けがあり、右手にショーケース付きのオープンキッチンのカウンター、正面にグランドピアノ、フロアはアンティーク調のソファとローテーブルが適当に置かれ、二人用の椅子席が三つ、壁には書棚とローチェスト、天井にはシャンデリア、内装はゴージャスな深緑で統一されている。
 左手には大きな窓があるため、天然光で室内は明るい。グランドピアノ側の壁面は総ガラスで、室内から直接出られるガラス扉が設けられウッドデッキに出られるようになっているようだ。
 室内には、四人いた。
 カウンターに一人、ピアノの前に一人、椅子席に一人、ソファに一人。
 だが南の視線はただ一点に絞られた。ソファに寛ぐ後ろ姿。ここからでは後頭部しか見えないがあの髪の色は間違いない。
 由良だ。

「おや、新顔だね。有馬君の紹介?」

 不意に横から声をかけられて南は肩をそびやかした。見ると、オープンキッチンにミドル丈の黒いカフェエプロンを身につけ、眼鏡をかけた白髪混じりの年配の男性が立って南を物珍しそうに眺めていた。

「いいえ、違います。俺じゃなくて由良様のお客様です」
「由良君の? へーえ、珍しいなあ。由良君のお客様なんて初めてじゃないか?」

 男性は感嘆の声を漏らし節くれだった指で顎を撫で、興味津々とばかりに南に眼を凝らす。
 自分の名前を聞きつけたのだろう、由良がつと振り返り、南と眼が合った。驚いた顔で眼を見開いたものの、すぐに人好きのする表情を浮かべてすっと立ち上がるとこちらへやって来た。

「いらっしゃい、南さん」
「こんにちは! お邪魔します! お言葉に甘えてお茶をいただきに来ました!」

 南は勢いよくお辞儀した。

 よし、今度は噛まずに挨拶ができた! 昨夜練習した甲斐があった!!

 心の中でガッツポーズする南の前で、由良が薄い唇に指をあててクスクス笑う。

「元気だね」
「元気と健康が取り柄なんです」

 南が真面目に答えると由良は微笑んだ。南の斜め背後にいた有馬や他の面々がギョッとした表情を浮かべたが、由良しか眼に入っていない南は彼らの動揺した様子にはまるで気がつかなかった。
 南は由良の笑顔を見て、内心ほっとした。由良に最初に会ったとき感じた物寂しさがだいぶ薄らいでいる。よかった、そう思って嬉しくなった。
 由良が手を差し出し、緊張する南を物馴れた振る舞いでソファにエスコートしてくれた。

「どうぞ、座って。飲み物は? なんでも好きな物を頼んで」
「な、なんでも?」
「うん。マスターが作ってくれるから」

 由良の視線の先には、オープンキッチンに立ち親しげにこちらに手を上げる男性がいる。

「えっと……じゃあ、冷たいカフェラテをお願いします」

 由良にマスターと呼ばれた男性が鼻歌まじりにさっそく作りにかかった。
 由良は南と向かい合わせには座らず、ごく自然に南のすぐ隣へ腰を下ろした。少し動けば肩がぶつかる近さにドキドキしながら、南は鞄を膝の上に置いて室内を見まわした。

「あ、あの……ここ、喫茶店かカフェ、ですか?」
「いや、違うよ。ここは<Leviathan(リヴァイアサン)>」

 耳慣れない単語に首を傾げると、有馬から筆記用具を受け取った由良が美しい筆跡で書いてくれた。

<Leviathan(リヴァイアサン)>

 ドアプレートに記された文字の読み方がようやく判明した。
 どういう意味だろう? と首を傾げる南に由良が落ちついた声音で淡々と話をしてくれる。

「営利目的で営業しているわけじゃないから、看板とかは出ていないんだ。ただ会員制で、メンバーの紹介がなければ中には入れない」

 会員制!

 途端に敷居の高さを感じて南はあたふたした。

「わ、私がお邪魔してもよかったんですか? ご迷惑だったんじゃ……」
「迷惑じゃないよ。君は僕が招待したのだから気にしないで堂々としていればいい。本当言うと、昨日の今日で君がここへ来てくれるとは思っていなかったから、ちょっと驚いたけどね」

 やっぱり図々しかったかも。

 南がいきなりドーンと気落ちしてどんよりした顔で俯くと、横で由良が笑う気配がした。

「来てくれて嬉しかった。また会えたらいいと、思っていたから」
「……え?」

 空耳だろうか? いま、ものすごいことを言われたような気がする……!?

 脳が思考停止し南が石のように硬直していると、由良が軽やかな調子で続けて言った。

「ほら、向こうの壁を見て」

 言われるがまま顎を上向かせ、由良の指が示す壁に視線を移した。そこにはコルクボードがあり、たくさんの白い紙片が無造作に留まっている。

「あの紙には、ここに来る人たちの大切な夢が書かれている」
「……えっと、見てきてもいいですか?」
「いいよ」

 南より一瞬早く由良が立ち上がり、柔らかい物腰でコルクボードの前へと導かれた。
 紙片の一枚一枚に眼を凝らす。それらには、『画家志望』、『ピアニスト』、『考古学者』、『時計職人』、『医者』、『小説家』、『外交官』、『保育士』、『料理人』、中には『海外で暮らしたい』、『マグロを釣る』、『優しいお父さん』だの『家庭円満の幸せ奥さん』なんていうものもあり、思わず共感してしまった。
 由良がコルクボードの夢を綴った紙片へ、羨望のこもったまなざしを注ぎながらそっと呟いた。

「ここ<Leviathan(リヴァイアサン)>はそんな彼らの夢を応援する場所なんだ。会員の会員による紹介制で、オーナーの承諾を得たら夢が叶うまで自由に出入りできる」
「夢を応援する場所、ですか」
「うん、そう。他人の夢を笑わない、自分の夢を見失わない、だけど夢を追うことはとても勇気のいることだから……疲れたときにはここで休み、食べて飲んで語って、力を蓄えてもらう」

 南は温かい気持ちに包まれながら溜め息を漏らした。

「なんだか、素敵ですね……」
「じゃあ君も仲間に入る?」

 あまりにもあっさりと誘われたので南は呆けた。

「私が?」
「夢があれば、書いて。有馬」

 いつのまにか背後で待機していた有馬の手からサインペンと白いカードを手渡された。
 由良は南の前で優しく、だけどどこか寂しそうに微笑んでいる。

「君の叶えたい夢を書くといい。そうすれば、その夢が叶うまでここには自由に出入りできるから。あとは夢を叶えたらここへきてカードを破棄すれば、それで卒業だ」
「で、でも、私、叶えたい夢なんて……」

 急に言われても困る。
 南には将来の展望など漠然とし過ぎていた。ただなんとなく大学に進学し、普通に就職して結婚するんだろうなと思っていただけに、一瞬で頭が混乱した。

「難しく考えなくてもいいよ。なにかないの?」

 茶色の瞳に長く見つめられていると頭の芯がぼうっとしてきた。心臓が勝手に暴れて頬に血が昇っていくのがわかる。
 あの雨の日の由良との出会いが脳内リピートされ、いつしか由良で胸がいっぱいになり、他にはなにも考えられなくなった。
 南は由良の注視を浴びながら、震える手でサインペンを持ち白いカードに書いた。

『素敵な恋がしたい』

 ――あなたと。

 さすがに、そこまでは書けなかったけれど。
 でも書いたあとですぐに後悔した。これは夢ではなく単に下心を露呈しただけにすぎないかもしれない。ばか正直に書いてしまって由良は気を悪くしたかもしれない。嘲笑われたらどうしよう。
 だが由良は無言で南のカードを指でつまみ、コルクボードに画鋲で貼りつけた。

 沈黙が痛い……やだ怖い。逃げたいかも。

 由良のリアクションを悪い方向に想像して南が息も絶え絶えに身を強張らせて棒立ちになっていると、由良から「南さん」と改まって声をかけられた。ビクッと首を竦めつつ、おずおずと由良を見上げる。

「僕と恋をしようか」
「え……?」
「相手が僕でよければ、君と恋がしたい。君の夢を叶えるのが僕ではだめかな」

 心臓が止まるかと思った。
 眼を剥いて絶句する南に向けて由良がいかにも名案だ、と澄んだ瞳を輝かせて甘く微笑する。

「ただし、八月三十日まで。それ以降は用事があって僕の身体の都合がつかないから期間限定の短い恋で申し訳ないけど、それでもよければ」

 このときの南の心情はパニックを絵に描いたようだった。
 あとになってよく考えてみると疑問がいくつも湧いてきたが、この瞬間の南の脳裡は『棚からぼたもち』、『濡れ手で粟』、『渡りに船』、『ビギナーズラック』などの諺が次々と閃いた。

 ――彼と恋ができる。

 たとえ一ヶ月未満でもかまわない、と即座に思った。一日でも、数時間でも、由良の彼女になれるなら。彼と恋ができるなら。そんなチャンスは絶対に逃せない。
 嬉しさのあまり南は涙目になって、勢いよくお辞儀して言った。

「よろしくお願いします!」

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【2014/12/23 11:40】 | Leviathan ――リヴァイアサン――
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 こんばんは、安芸です。
 遅くなりましたが、Leviathan第3話目をお届けします。
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 もしかしたら、雨が降ったらもう一度会えるかもしれない――。
 となんの根拠もない思考に傾いていた南の願いも空しく、この日も雲ひとつない鮮やかな晴天となった。
 南は太陽の照りつける夏空を恨めしく思いながら、借りた傘をエクスカリバーのように後生大事に抱く。
 玄関でお気に入りのサンダルを履きながら南はポツリと呟いた。

「……今日が、最後」

 気が重い。気が重いから、溜め息も重い。
 今日会えなければきっぱりと諦める。そう決めた。それなのにいざとなったら踏ん切りのつかないような気もする。いつまでもいつまでも、うじうじ未練がましく引きずる予感がすごくする。

「会いたいなぁ……」

 腕の中の傘をそっと撫でる。祈る。神頼みならぬ、傘頼みだ。

 ――どうかお願い、もう一度だけでいいから彼に会わせてください。


 南は眼を疑った。心臓がばくんと跳ねた。

「いた……」

 彼だ。間違いない。
 あの日と同じ葉桜の木の下に、無造作に座っている。片膝を立ててやや前屈みになり、膝の上にスケッチブックらしきものを広げて冷めた表情で鉛筆を動かしている。枝葉の隙間から射す微かな木漏れ日が柔らかく彼を照らし、輪郭をなぞっていた。

 ……どうしよう。

 南は足が竦んで動けなかった。あんなに会いたいと望んでいたのに、毎日毎日待って、待ち続けて強く再会を願っていたのに、いざとなったら緊張のため全身に震えが奔り一歩も前に進めない。

「……」

 ――なんて言えばいいの? 挨拶? お礼? それとも自己紹介が先?

 自分の中の色々な声で脳内戦争が勃発して完全にパニックになってしまった。
 どのくらい経ったのか、彼のもとに見憶えのある人物が颯爽とした足取りで近づいた。南に傘を貸し手ぶらになった彼を自分の傘に入れた男の人だ。
 二人は視線を合わせて会話を交わし、少し年長の男の人に急きたてられる恰好で物憂い態度で彼が腰を上げた。反論を諦めた表情で彼はスケッチブックを閉じて脇に挟み、手で軽く尻を払い、南に背を向ける。

 ――あ、行っちゃう!

 咄嗟に、南は走った。身体が勝手に動いていて、気がついたときには衝動的に彼を呼び止めていた。

「待ってください!」

 自分でもびっくりするほど大きな声が出た。彼と彼の横に並んで歩いていた男の人が肩甲骨のあたりをピクリと震わせ、ほぼ同時に南を振り返る。
 今日の彼は白のTシャツに色の抜けたブルージーンズとコンバースの白スニーカー。
 もう一人の男の人はグレーの半袖ポロシャツに黒のパンツ、ナイキの黒スニーカー。
 呼び止めたものの二の句が継げず南が立ち尽くしていると、二人の内の一人が口を開いた。

「由良(ゆら)様、お知り合いですか?」

 彼ではない男の人が、丁寧な口調で彼に訊ねた。間近で見ると真面目で礼儀正しそうな、凄みのある美形だ。真っ黒い髪は清潔に短く整え、南を見つめる眼はまっすぐで清々しい。彼よりほんの少しだけ背が高く肩幅もあり、背筋をぴんと伸ばして立つ姿は細いけど精悍な身体つきだ。
 由良、と呼ばれた彼は南をじっと見て、「ああ」と呟いた。

「君か」
「どちらさまですか? 失礼ながら、俺の記憶には見覚えのない方のようですが」
「前にここで僕が傘を貸した人だ。ほら、手に持っている」

 二人の視線が南の抱える傘に集中する。
 南は「二人並ぶとすごく絵になるなあ」と見惚れていたが、ハッと我に返り慌てて由良に頭を下げて、傘を差し出した。緊張のため口から心臓が飛び出しそうだ。

「あ、あの、そ、その節は、お、お世話に、なりましたっ。かかか、か、傘を、ありがとうございました! ほ、ほ、本当に助かりにゃした」

 噛みまくった。最悪だ。「にゃした」ってなに! 「ました」でしょうが!!
 恥ずかしくて顔を上げられない。もっときちんと落ちついてお礼を言いたいのに!
 赤面して黙り込む南から由良が傘を受け取り、南の手が空になる。

「返さなくてもいいと言ったのに。律儀な人だね、君は」

 低く掠れた声に、少しだけ笑いがこもる。一秒後、由良はふと気づいたように声を落とした。

「まさか、わざわざこのために僕を待っていた?」

 南が小さく頷くと、由良は「そう」と相槌を打った。

「ありがとう。かえって手間をとらせたみたいだ」
「いえ、そんな!」

 南は視線を跳ね上げた。まだ顔は真っ赤だろうけど、しょうがない。

「親切にしていただいて、とても嬉しかったです」

 眼を合わせてから笑って、深々とお辞儀をした南を見つめて由良が言った。

「顔が赤いね。暑そうだ。僕らは冷たいものでも飲みに休憩に行くところだけれど、よかったら君も一緒にどうかな」
「は、はい!」

 一も二もなく即答した南を由良が面白そうに眺めて、横にいた男の人に声をかけた。

「有馬(ありま)」
「はい」

 由良に有馬と呼ばれた男の人が一歩前に出た。会釈して、南に優雅なしぐさで手を伸ばす。

「お荷物をどうぞ。俺がお持ちします」
「えっ。そんな、いいです。自分で持ちます」

 驚いて辞退すると、有馬はあっさりと引き下がってくれた。

「左様でございますか。では、休憩場所までご案内いたします。と申しましても、すぐ近くですが」
 
 由良と有馬のあとについて公園を出て横断歩道を渡り、少し歩くとあの煉瓦造りの建物に着いた。
 内心動揺する南をよそに、有馬が流れるような動作で真鍮の門を開け、まず由良を通す。

「どうぞ、お入りください」

 有馬に丁重に促されたものの、南は二の足を踏んだ。
 困った。
 どうしよう。カフェとかならいざ知らず、いきなり見ず知らずの他人のお宅にお邪魔するのは非常識じゃないかな。でもここで断ったら、もう二度と会ってもらえないかもしれないかも。
 南が判断しあぐねてグズグズしていると、ゆっくりと先を歩いていた由良が肩越しに振り返った。

「どうしたの? おいで」

 澄んだ低音の美声が南の鼓膜を直撃する。合わせて優しげな微笑みにくらっとした。心臓が鷲掴みにされたみたい。とてもでないが絶対に逆らえないくらい、魅力的だ。
 南の足は自然と動き、花に吸い寄せられるミツバチのように由良のもとへと向かった。
 ところが、<Leviathan>のドアプレートが揺れる玄関扉まで来たとき、スマートフォンの着信音が鳴った。
 誰だろう、こんなときに。
 由良に断り、慌てて電話に出る。母だった。最初に「いまどこ?」と訊かれ、次に幼なじみが家に来て待っていることを告げられて、「早く帰って来なさいよ」と電話が切られた。
 そうだった。自分で約束しておきながらすっかり忘れていた。
 南はスマートフォンを手に握りしめたまま、由良に謝った。

「すみません、せっかく誘っていただいたのに……家に帰らなければいけなくなりました」

 泣きたいくらい残念だけど、幼なじみとの約束が先だから勝手にすっぽかすわけにはいかない。
 でもせっかく、ようやく彼と会えたのに――。
 南が心の中で号泣していると、次の瞬間、由良から思いもがけない一言が告げられた。

「そうか。だったら、お茶は次の機会に」
「次があるんですか!?」

 素っ頓狂な声で叫んでしまった。
 由良は南の威勢に少しだけ驚いた顔をして、それから表情を和らげた。茶の静かな瞳がわずかに細められ、口角が持ち上がる。淡い微笑が向けられて南の胸は動悸を速めた。

「……いいよ。君の都合のいいときに、いつでもおいで。もし僕がいなくても話は通しておくから、中に上がって待っているといい。君、名前は?」
「南理子(みなみりこ)です」

 長めの前髪に隠れた眼が優しくほころび、由良が微かに頷く。
 その風に揺れる柳のように穏やかな立ち姿に南は心を奪われ、息を止めて見惚れた。

「じゃあ南さん、さよなら。また今度」



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【2014/11/21 22:09】 | Leviathan ――リヴァイアサン――
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 こんにちは、二度目のダウン中の安芸です。
 原稿あるのに……間をおかず風邪をひいてしまいました。微熱がひかず、咳がひどく、病院に行っても「咳は1~2週間とれないかも」と宣告されてしまいました。咳込んだら頭が痛くて思考が鈍るのに! おまけに熱があったらおとなしく寝ておけとPC禁止令を出されるのに!! 
 本日ようやく平熱になったので、PCの前に座れました。咳はまだとれません。のどが痛い……。
 皆様も体調管理にどうぞお気を付け下さい。

 Leviathan 遅ればせながら二話です。
<< 前の話

     
 南は翌日、同じ時間帯に公園へ足を運んだ。借りた傘を返すという立派な口実があるので話しかけるきっかけには困らない。
 午後二時までは学校で夏期講習があるので、それを受けてからいったん帰宅し、急いで支度をする。白のチュニックとデニムのミニスカートに黒のフラットサンダル、そして籐のかごバック。髪型は両サイドを軽く編み込んで、後ろはふわっと流した。ヘアアクセをするかどうか悩んだけど、あんまり頑張りすぎたおしゃれに見えてしまうかもと思ってやめておく。あと忘れちゃいけないのが日焼け止め。念のために汗ふきシートも持って行こうかな。
 南は昨日と同じ葉桜の木の下でそわそわしながら彼が偶然通りかかるのを待った。

「もう一度会ったら、なんて挨拶しようかなあ。こんにちは、かな? 初めまして、かな? それともお礼? ううん、やっぱり自己紹介を先にするべき?」

 再会を夢見ている間はなんだかとても幸せで、待ちぼうけを食ってもちっとも退屈しなかった。
 昨夜はついつい浮かれて幼なじみの佳澄(かすみ)にLINEで報告すると、速攻返ってきたのはシビアなメール。

『それってただの親切じゃないの?』
『でも、もしかしたら運命の出会いかもしれないし』
『うんめいのであいー? もしもーし、熱中症ですかー? 頭やられてませんかー?』
『熱中症じゃないし、頭やられてもいないよ!』
『じゃあ言うけど、あのさ、そんなに素敵な人だったならフツーに彼女がいると思うよ』
『うっ……』

 佳澄のツッコミは時々とっても手厳しい。
 南がわかりやすく凹んだのを察したのか、慌てて佳澄が取りなす。

『まあ傘を返したいっていうならそれはそれでいいけど、おかしな下心は持たない方が無難でしょ。だってどー考えても会えない確率の方が高いんだからさ』
『う、うん、そうだね。わかった……』
『……ちゃんと適当に諦めるんだよ? あんたって変に諦めが悪いから、おねーさんはちょっち心配』
『おねーさんって、佳澄の方が誕生日遅いのに!』
『ブッブー。残念でしたー。精神年齢は私の方が上でーす。だから忠告はよく聞くように! 勝手に思い詰めて一人で盛り上がるの禁止! ダメ、絶対!』

 佳澄は親切で言ってくれたのだろう。それはわかってはいたけれど、でもそんなに簡単に諦めたりもできなくて。
 南は待った。一日、二日、三日、四日……ただじっと待ち続けた。
 だが彼は現れなかった。
 会えないまま時間だけがいたずらに過ぎていった。

「七月も明日で終わり、かぁ」

 晴天だというのに傘を携え、最初に出会った葉桜の木の下に佇みながら、南は溜め息を吐いた。

 ――やっぱり、運命の出会いなんかじゃなかったのかも。ただの偶然で、相手にとっては小さな親切で、特別に思うこと自体が間違いだったのかも……。

 もし明日会えなかったら、もう諦めよう。と心に決める。今度こそ、絶対。
 というのも、期待しては失望して、をずーっと繰り返しているのでメンタル的にとてもきつい。背恰好や髪型が似ている男性を見かけては追いかけ、確認するたびに人違いだとわかりがっかりして、とぼとぼと重い足取りで家に帰る。
 あれから毎日、この調子で。
 最初こそバラ色の気分で舞い上がっていた南も、日が経つにつれ、徐々に現実が見えてきた。

「やっぱり佳澄の言う通り、無理があったんだよね……どこの誰とも知らない行きずりの相手と、偶然もう一度会おうなんて……」

 あの日、彼が消えた道の先を眺める。
 車道の向こう側の歩道沿いには商店やブティック、ファーストフード、カフェ、居酒屋、クリーニング店、美容室、書店、雑貨店、花屋、コンビニエンスストアなどが軒を連ねている。
 その中で一軒、庭付きで煉瓦造りの建物があった。
 奥にグリーンガーデンが広がる門前には真鍮のランプが置かれ、玄関横には花の寄せ植えのプランターがあり、アンティーク調の古い木の扉には小さなドアプレートが下げられている。
 一度、興味本位で門から身を乗り出し、友達とドアプレートの文字を確認したことがある。

<Leviathan>

 なんて読むのだろう? いまだに正しい読み方がわからない。
 公園に通い詰めて時間だけが無為に過ぎていく中、南がなんとなくその煉瓦造りの家を眺めていると、割と頻繁に人の出入りがあることがわかった。老若男女問わず、恰好も様々、時折は外国人まで混ざっている。
 門も普段はきっちり閉じているし看板もないので、店舗運営されているわけではない一般家庭なのだろうけど、それにしても大勢が出たり入ったりと忙しい。

「私には関係ないか」

 南は視線を頭上へと移した。抜けるような青空と力いっぱい輝く太陽が視界を埋める。

「暑いなー……」

 立っているだけでもじっとりと汗が流れて気持ち悪い。
 でも、彼は暑さとは無縁の涼しい様子だった。雨が降ったせいで余計に蒸し暑かったはずなのに、そんなそぶりは欠片もなかった。

 ――使って。
 ――返さなくていいから。
 ――じゃあ、さよなら。

 記憶に残る彼の声を思い出すたび、胸がどうしようもなく騒ぐ。
 こんなこと初めてなので、どうしたらいいのかわからない。
 ただ、もう一度会いたい。
 会って、お礼を言って、話をしたい。
 それから、それから――?
 手の中を見つめる。男物のシンプルな藍色の傘で、柄の部分に見慣れぬロゴ・マークが入っている。
 この傘の重みだけが唯一、彼と南を結ぶ絆だった。


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【2014/10/24 12:27】 | Leviathan ――リヴァイアサン――
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 新作 Leviathan リヴァイアサン です。

 短い夏の恋物語。
 スローテンポの連載となりますが、皆様に楽しんでいただけるよう頑張りますので、どうぞよろしくお願いします。
<< 前の話



「彼氏かあ。いいなあ。羨ましいなー。あー、私もすてきな彼氏が欲しーい!」

 うっかり声が大きくなってしまったのは、本音も本音、心の叫びだったから。
 ついさっき、幼なじみからメールで『彼氏ができました』報告をもらって『おめでとう!』の返信を打ち終えたばかりで、友達の幸せを祝福する気持ちと妬む気持ちの両方に苛まれてしまった。

 高校二年の一学期終業式が終わったこの日(明日から夏休み!)、クラスメイトとファーストフードでおしゃべりした帰り道で受け取った一通のメールが、南(みなみ)の一生を変えた。
 新着メールの着信音にスマートフォンを見た南は道のど真ん中で思わず歓声を上げた。周囲からジロジロ見られて、慌てて歩道沿いの公園に足を向け、空いているベンチに座る。幼なじみに初の彼氏ができたことが自分のことのように嬉しくて、嬉々として返信を打つ。
 だけどメール送信したあとに、ふと寂しさと妬ましさが込み上げてきた。

 ……いいなあ、と。

 実のところ、南はまだ誰とも付き合ったことがない。告白したことも、告白されたこともない。それどころか、まともに恋をしたことがないのだ。
 だから、彼氏と彼女という恋愛関係にとても憧れている。
 好きな人が自分を好きって、どんな感じなんだろう? と、ちょっと考えるだけでなんだか楽しくて。その反面、好きな人すらいない自分にがっかりもして。
 心底、幼なじみが羨ましいと思った。

「私って心が狭い……」

 なんだか凹む。

 南がちょっぴり自己嫌悪に陥ったとき、雨が降ってきた。天気予報では降水確率二〇パーセントだったので傘は持ってきていない。
 南は左手にスマートフォンを握りしめたまま、右手で鞄を掴んであわててベンチから立ち上がり、近くの葉桜の木の下に移動した。
 公園内を見まわすと、同じように傘を持たない人たちが急いで木の下に避難していた。

「通り雨だったらいいけど」

 溜め息をついて木の幹に凭れかかり呟く。
 だが、南の願いに反して雨は瞬く間に本降りになった。公園に面した表通りの歩道を歩く人々はみんな手に傘を持っている。
 時計を見るとまもなく十八時で、このままだと夕食に間に合わない。
 コンビニでビニール傘を買うか、濡れるのを覚悟で走って帰るか。
 どうしよう、と悩んだそのとき、眼の前にスッと男物の傘を差し出された。

「使って」
「えっ。あの」

 突然の出来事に驚いて、南は眼の前の若い男性を見つめた。
 優しげで、少し憂い顔の端整な長身の男の人が傘を差し出して立っていた。
 猫毛の柔らかな茶色の髪、理知的でどこか物寂しげな茶色の眼は吸い込まれそうなほど澄んでいる。イノセントなまなざしが南に向けられていて、眼が合った瞬間に、時が止まったと本気でそう思った。
 まわりの風景や雑音がすべて消えて、南の視界には彼だけが映っていた。
 だから二言目を彼が喋ったときには、ちょっとおかしいくらい動揺した。

「返さなくていいから」

 耳に低く響く声は余韻が甘く柔らかく、南が戸惑っている間に傘の柄を手に握らされた。

「じゃあ、さよなら」

 こんな土砂降りの中、傘を他人に譲って自分はどうするの? と南が焦って引き止めようとしたとき、彼の傍にいた彼より一、二歳年上の男の人が自分の傘に彼を入れた。
 雨足がいっそう強くなる。
 傘を差し、家路を急ぐ人波にまぎれて彼らの姿が見えなくなったあとも、南は足が石になったようにその場から動けなかった。

 ……びっくりした。

 映画や小説や漫画にあるような非現実的な出来事が自分の身に起こるとは、信じられなくて。

 ……こんなことって本当にあるんだ……。

 しばらくぼーっとしたあと、我に返る。胸がドキドキした。顔が火照っている。これは夢なんじゃないかと疑い、手に握る男物の傘の存在で現実にあったことなのだと実感する。
 相手にしてみれば、小さな親切だったのかもしれない。
 でも南にとっては大事件だ。こんなにロマンチックなことが人生で何度もあるわけがない。

 これはもしかしたらもしかして、運命の出会いかもしれない――?
 まさか。
 まさか、そんな。でも。

 心臓が熱い。鼓動が異様に速い。頭もくらくらした。思考はパンク寸前だ。
 おそらく過剰反応だけど、免疫がないのだからしょうがないと思う。

 ――素敵な人だったな。
 ――また会えないかな……。

 南は背中に羽が生えたような、ふわふわした気持ちのまま大事そうに傘を差して家路に着いた。

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【2014/10/07 12:00】 | Leviathan ――リヴァイアサン――
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